銀河英雄伝説

田中芳樹のSFファンタジーで、最初に世に出た徳間ノベルズで全10巻+外伝4巻という長編の小説。アニメ化もされているので、そちらのほうで作品に触れた人も多いかもしれない。

大ざっぱにいうと、銀河系を舞台にして新しい時代が誕生するまでを描いた壮大な物語で、人によっては三国志や史記、プルタークの英雄伝などを彷彿する人もいると思う。

設定にかなりの無理や無茶があるなどという批判的な見方もできるかもしれないし、逆に、特にアニメ版のほうではキャラクタが綺麗だとかBGM(大半がマーラーやワグナーなどドイツ系のクラシック曲が多い)が素晴らしいというようなファンも多いようだ。

で、ぼく自身はどうかというと、それらの設定とはまるで無関係にこういった小説が結構好きなのだ。ひとことでいうと、「神話の時代」が好きなのかもしれない。

「神話の時代」というのは何か?天岩戸に閉じこもった天照大神をアメノウヅメの踊りで気を引いて・・というような話がいわゆる神話で、それも嫌いではないのだが、ぼくの頭の中では神話の定義ははっきりしていて、『ルールを作った時代』が神話で、『ルールができたあとの時代』が歴史だ。

なので、必ずしも太古の昔でなくても神話がある。幕末の頃、倒幕か佐幕か、味方にするのはイギリスかフランスか、など、「日本のルールが決められようとしていた」頃はまさしく神話のイメージだ。さらに下って、巨大なパナソニックグループ。その沿革は歴史みたいなものだが、創業者の松下幸之助が町工場で電球ソケットを作りながら、後の松下電器をイメージしていた頃が(ぼく的には)やはり神話なのだ。

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おそらくぼくだけではないと思うが、現代の世界で暮らしている人たちが持っている閉塞感というのは、『現状を維持するために必要なルール』で縛られていることから来ているのだと思う。受験勉強や就職活動や会社勤務にせよ、家族を養ったり税金を払うことにせよ、毎日意識しているかどうかはともかく、ぼくたちは見えない縄でがんじがらめにされているわけだ。

もちろん、ある程度ルールに縛られていたほうが気楽で良いという考え方もある。ひょっとすると人類の大半はそうなのかもしれない。ぼくだって「閉塞感」とか書きながら、今この瞬間に社会のルールが全て無くなったら1日以上生きていられるかどうか自信は無い。

だからこそなおのこと、「ルールの無い世界で、ルールの外側からルールを作った人たち」に対して憧れることになり、また、今後決して遭遇しないだろうと思われる神話の時代を羨ましく思うのだろう。

・・・ぼく自身は数年前に長いこと勤務していた会社を辞めて独立した。ある意味で社会のルールの一定部分を無視できる立場になったわけだ。もちろん逆に自分を律するためのマイルールを確立しないといけないわけだが。ただ最近、そんなマイルールに少し倦んできたからこんなことを書いてるのかな。