いわゆるボリウッド系の騒々しいインド映画とはまったく違う、ヨーロッパ映画のようなテイストのインド映画。英語の原題は「The Lunchbox」。監督はリテーシュ・バトラー 主演:イルファーン・カーン。
驚異的な正確さを誇る、インドのお弁当配達システム「ダッバーワーラー」。600万個に1個くらいしか誤配が起きないらしいのだが、たまたま起きてしまった誤配から始まるせつない物語。勤続35年、そろそろ早期退職を考えている壮年のサージャンのもとに、自分にほとんど関心をもたなくなった夫に不満を持つイラの作ったお弁当が届いてしまう。イラは30歳くらいの想定か。
「無関心」というのはタチが悪い。「こんなマズイ弁当を作るな!」などといって喧嘩をしている間(そんなシーンは無いが)は、夫婦関係はギクシャクすることはあっても冷えることはない。しかしイラの夫は「無関心」なのだ。これはいけない。表面上は喧嘩はないかもしれないが、夫婦関係の土台の部分を壊していく。
夫に不満を持つ妻というのは、日本にもインドにも無数にいることだろう。しかし、たいていの人は与えられた環境から抜け出すことの面倒さも知っていて、積極的に現状を変えようとまで思う人は少ない。そんな中、イラは数少ない、「恋愛に積極的な」性格なのだと思う。そして、彼女が幸福な人生を歩むには、夫も恋愛に積極的でなくてはバランスが取れないのだ。
それでもイラは、弁当をいつも食べ残してしまう夫のために、弁当にくふうをこらしていた。(インドの女性の仕事のかなりの部分は弁当作りに割かれているのだろうか)
ところがそんなある日、完食され、からっぽになった弁当箱が戻ってくる。やっと気持ちが通じたのかと喜ぶイラ。・・・・・しかし、完食してくれたのは、600万分の1の確率で誤配された先のサージャンだったのだ。
物語の始まりが「完食」という点で、すでにイラからサージャンへの好意の下ごしらえができている。誤配の上に食べ残されたら身もフタも無かったはずだ。とにかく、この誤配の完食をきっかけに、弁当箱を通信手段とした奇妙な文通が始まることになる。どちらかというと、イラが発信し、サージャンが返信するという、イラのほうが積極的なパターン。
最初は「面白い人」くらいに思っていたサージャンに、イラは徐々に魅かれていくようになる。「私たちは実際に遭うべきだ」と提案を持ちかけるイラ。彼女はやはり積極的なようだ。
そんなある日、イラは夫の脱ぎ捨てた服への移り香から夫の浮気を疑ってしまう。夫が彼女に無関心なだけで、朝から晩まで仕事で疲れているのなら、無関心だけを理由に他の男に走るのは、人としての道に反するかもしれない。しかし「夫への義理立てはもう不要」と思える根拠もできたのだ。
ただ、イラは少しズルイと思う。彼女のような積極的な性格であれば、普通は、まず夫を問いただすのではないか。しかし彼女は敢えて訊こうとしない。「浮気が確定するのが怖いから」とサージャンに書き送っているが、ぼくはそうではないと思う。「実は浮気ではなかった」場合が怖いのだ。浮気でなかった場合、サージャンへの思いはかなりうしろめたいものになってしまう。敢えて訊かずに、「夫もすでに浮気している」と思い込むことで、彼女は自分を鼓舞しているような気がしてならない。
いっぽう、サージャンのほうは、イラとの恋愛を喜びながらも控えめだ。それでも同僚に、妻に先立たれていることを同情されたとき、「でも恋人はいるよ」と、つい言ってしまうサージャン。嬉しかったのだろう。しかしイラから「一度遭おう」と提案されて、朝から気合を入れて準備しながらも、自分の老いた容姿に改めて気づき、約束の店に入って彼女の姿を認めながらも、声をかける勇気が出なかったサージャン。大変にせつない。
結局、サージャンはイラのことを諦めるという決断をし、一度はイラのために撤回していた早期退職をやはり実行することにして職場を去り(イラが子供を連れて職場まで訪ねてきたのはまさにその直後だ)、隠居先のナーシクという町に移住する決意を固める。
ところが、最後が有名なシーン。一度はナーシクに行ったサージャンが、やはり思い直してムンバイの元いた家に戻ってくるのだ。戻ってくるだけではない。なんとダッバーワーラー(弁当配達人)たちと一緒に弁当の返却ルートまで辿ろうとしている積極さ!
その頃、イラのほうもある決意を固めていた。既婚者を示す装身具を売り払い、サージャンとの楽しい会話で出てきたブータンを目指そうというのだ。もちろんサージャンがどこにいるのかは知らない。そもそもブータンにいるのかどうかもわからない。しかしサージャンから教えてもらった、「ブータンに行けば、間違った列車に乗っても正しい目的地に着く」という言葉が彼女を支えているようだ。
映画はここで終わる。イラがブータンに出発するよりも前に、サージャンがイラの家に辿りつけたのかどうか、その後2人がどうなったかは観客の想像にお任せ、ということだろう。私はサージャンに感情移入しながら見ていたので、2人は無事に出会えて、幸せな第2の人生を送ったと信じたい。
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後日調べた話。
サージャンが最後にダッバーワーラー達と行動を共にしていた時、彼らはみんなで聖トゥカラームと聖ドゥニャノバーを讃える歌を歌っていた。この2人の聖人はヒンドゥー教(ヴィシュヌ教)では有名な人たちのようで、トゥカラーム(Tukaram)とドゥニャノバー(デャーネーシュワル:Dnyaneshwar)はwikipediaもあって、どうやらそれぞれ、「結婚などという世俗的な幸福を超越した幸福。孤独な求道者ではなく、高い次元の愛」を説いていたようだ。
と、いうことは・・・サージャンとイラは、泥沼の不倫などとは無関係の、美しい愛で結びつく、ということではないだろうか。期待し過ぎか。