大成丸というのは、「海のロマンス(米窪太刀雄:著)」という本で知った名前で、明治の終わり頃に旧制東京高等商船学校の大型練習船として世界一周した帆船(米窪もそのときの実習生。のちの初代労働大臣米窪満亮のこと)。明治丸というのは、初代の灯台巡廻船として活躍した船で、現在は越中島の東京海洋大学のキャンパスに固定展示されている(見学も可能)。
それぞれ別々の経緯を経て知った名前だったが、先日、明治丸を見学する機会があり、併設されている明治丸記念館に大成丸の遺品が飾られていたことから、はからずも両者が(ぼくの中で)つながった。
実は大成丸は2018年の現在も存在しているが、現在の船は2014年に竣工した4代目。世界一周した初代は昭和20年、神戸港内で米軍の残存機雷に触雷して沈没、実習生31名が死亡した。記念館にあった遺品はこのとき引き揚げられたものだという。
米窪が乗船していた世界一周航海は1912~1913の1年半にかけて行われ、彼が乗船中に書いていた日記を、帰国後に「大成丸世界周遊記」として朝日新聞に連載、その後、1914年に単行本にまとめて出版されたのが「海のロマンス」。夏目漱石も序文を寄せており、「漱石が激賞」という記事も書評にあったが、実際読んでみると、たしかに褒めながらも「余計な事まで書き過ぎだろう」みたいな批判もあって面白い。
ちなみに海のロマンス、古書としては数千円の価格で取引されているが、ちょっと高いかなと思って近所の図書館経由で都立図書館から取り寄せてもらって読んだ。ところが、とうに著作権が切れていることから、google booksで「無料で」全文読むこともできるようだ。
大成丸は木造、4本マストのバーグ型帆船。船体は白く塗装され、優美な姿だったようなのだが、いかんせん、モノクロ写真しか残っていない。明治丸は3本マストのシップ型帆船で、白く塗装された美しい姿を今でも見ることができる。大成丸も同じくらいの大きさだし(大成丸:82m、明治丸:74m)、「こういう船で世界一周したのか」と想像が膨らんでいた。
・・・ところが。展示されてる明治丸を見る限り、どう見ても美しい木造帆船なのだが、実はこれは改造後の姿らしい。本当は「補助帆付汽船」という2本帆の鉄製汽船で、灯台巡廻船として稼働していた頃は塗装は黒かったらしい。それが商船学校に練習船として譲渡された際、甲板に穴をあけてマストを1本増やし、塗装も変えたとのこと。
練習船としての使命も終わり、陸上に固定されてからは長らく放置されて老朽化しており、内部の見学などは無理だったようだが、あるとき昭和天皇が「祖父の明治天皇も乗船したことのある明治丸を見てみたい」と希望され、その途端に補修予算が計上されて大修理が行われ、見学可能な状態になったとのこと。
東京海洋大学は、旧商船大学と旧水産大学が合併した大学。現在は隅田川の支流に面しているように見えるが、開校当時は豊洲や晴海はもちろん月島も存在せず、思い切り東京湾に面していたらしい。東京湾の変遷はそれはそれで面白いけど、また別の項で。