キングダムという、原泰久の超有名な漫画がある。戦国時代(BC250頃)、戦乱の続く中国大陸で、史上初めて中華の統一を成し遂げた秦王嬴政(えいせい)、すなわち秦の始皇帝と、下僕の出身でありながら彼の盟友であり、頼りになる臣下として「天下の大将軍」を目指して活躍する李信を主人公とした物語。
史記などの史書をベースとしながら、李信だけでなく、多くの登場人物を実にユニークで魅力的なキャラクターとして生き生きと描いている作品。
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たくさんの登場人物の中で、ぼくがひときわ魅力的だと思ったのは桓騎という将軍だ。野盗の頭領出身という変わった経歴で、驚くほど頭が切れるが暴力的かつ残忍。大雑把に言うと、政や信が正義の味方っぽく描かれているのに対して、桓騎は頼もしい味方でありながらも悪の権化的な扱い。
政や信も桓騎を嫌っており、黒羊丘の戦いでは略奪を行う桓騎の部下を信と共に盟友の 羌瘣(きょうかい)が斬ったことから信の武功が帳消しになったりしている。
また、平陽に向かう戦いでは大量虐殺を行った桓騎を誅するために政が駆けつけ、あわや斬首にするというシーンもある。
そこでの政と桓騎の会話が、桓騎の考え方をとてもわかりやすく示している。
怒れる秦王を前にしても不遜な態度でまったく言い訳もせず動じない桓騎。処分したいんだったら勝手にすればいいという。
そして「侵略しかけてんのはお前だよな。つまり今この世で一番人を殺してんのはお前だぞ、秦王よ」と言い放つのだ。
また、「国を一つにして戦を無くすと言いたいんだろうが、『人』はそうはならない。絶対に。」とも言う。
それに対して秦王は「それは屁理屈だ」とか「俺は人を信じる」とか何とか色々と力強く言い返すのだが、ぼくには桓騎の言葉のほうが100%正解にしか思えなかった。
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戦国時代は暴力を是とする武の時代だ。強い国が弱い国を侵略するのは当たり前で、そのために多くの血が流れるのも当然。その思想を突き詰めた結果、政は「平和のために」中華の統一を目指し、信はそれを助けながら「天下の大将軍」を目指す。
どちらも極めて困難な道ではあるものの、ある意味、当時の時代に適合した無邪気で単純な考え方だ。政や信の考え方では、民間人や投降兵を虐殺したり、町や村で略奪や強姦を行うのは「絶対悪」だ。いっぽう、他国を侵略して自軍敵軍ともに多くの犠牲を出し、結果として寡婦や孤児を大量生産するのは「善」とは言わないまでも「必要悪」。さらに強敵を屠るのは「英雄」で、論功行賞の対象ですらある。
桓騎はそこに激しく胡散臭さや偽善を感じでいるのだと思う。野盗出身の彼にとっては将兵と民間人の区別なんか無い。どちらも同じ人間で、同じように殺戮の対象だし、逆にいえば同じように貴い。
そもそもあの時代、信がそうであったように農民と兵隊を兼任している民兵も多くいた。秦の命運を賭けた蕞(さい)の戦いで、政に鼓舞されながら戦い抜いたのも民兵。すなわち一般人だ。
「人を殺してでも前に進め」という大方針の中で、「民間人は殺さない」というのは、軍人が自分たちの行為を正当化するための免罪符にしか過ぎないということを桓騎は見抜いているのだと思う。
「人を殺すのが悪なのであればそもそも侵略なんかするな。侵略されたほうは多かれ少なかれ不幸になるに決まっている。そんなところで不幸に強弱をつけて自己満足に浸るなよ」と言いたいのではなかろうか。
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大量虐殺に先立つ扈輒(こちょう)との戦いの中で、「痛みの底を知っている」という扈輒に対し、「そこが痛みの底なんて思ったお前が浅いんだよ。底なんてないんだよ、痛みに」と暗くつぶやく桓騎の姿もある。
これはほとんど哲学者の言葉ではないだろうか。ぼくの勝手な想像だが、桓騎は人間の業(ごう)のようなものにある種の深い諦めを感じているような気がする。
なので、腹心の部下から「大将軍にまでなって、どうしてそんなにいつも渇いているのか。一体桓騎は何と戦ってるんだろうなーってな」と不思議がられるシーンや、政と桓騎の会話の続きで、政が「お前みたいに何もせずに絶望などと・・・」(絶望・・?いや・・)と言葉を止めてしまうシーンがある。
これらも、桓騎の非常に深い人間観から来ていると思えるのだ。人間の性(さが)として、互いに殺し合うという性質がある以上、そこにどんなに格好の良い意味付けをしたところで虚しいだけだというような。
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野盗時代の桓騎についての詳しい記述はない。なぜか白老、蒙驁(もうごう)将軍にだけは敬意を払っているという少し不思議な描写があるだけだ。
蒙驁は人材発掘の天才という一面があったようだ。なので、いち早く桓騎の才を見抜いて自身の配下に加えたのだろう。そこでどんなやり取りがあったのかはわからないが、なんとなく進撃の巨人のエルヴィン団長が、裏社会で頭角を示していたリヴァイを配下に加えたときのようなシーンがあったのではないかと想像する。
そしてリヴァイ同様、桓騎も「人生を達観しているかのようにクール」に見える反面、身近の人間に対する情の深さを併せ持っているように思える。
さきの大量虐殺も、客観的な理由としては「自軍の戦力を上回る大量の投降者の処置」だろうが、腹心の雷土が残忍極まりない拷問にあっても何一つ喋らなかったということに対する手向けのような意味が大きかったのではと思えてならない。
バラバラにされて箱詰めにされた雷土の顔を優しく撫でて「無茶せず適当に逃げろっつったろーが。俺の言うことを聞かねーからだぞ。この・・大馬鹿野郎が」と悲しそうに声を掛けた桓騎。大量虐殺が起きたのはその直後だ。
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とにかく桓騎は、通常の武人の発想には無い、ある種の天才的な方法で戦争での勝利を重ねていく。しかし、そこには信のような無邪気さは微塵も無い。殺し合うことを是とする人間の闇を痛感している彼にとっては、たいていのことは些細なことにしか思えないのだろう。そういうクールな一面と、情に深いという一面も持っている桓騎が魅力的でないはずがないと思うのだ。