みさきめぐりのとしょかんバス

表題は岩崎書店の「としょかんバスシリーズ」の絵本の名前。舞台は北海道の根室市立図書館。としょかんバス「あすなろ号」も実在のバス。このシリーズでは他にも北海道標茶(しべちゃ)を舞台にした「大草原のとしょかんバス」とかもあるようだ。作画は絵本作家の梅田俊作氏だが、作者の松永伊知子さんは根室市の図書館司書。

変な話だが、絵本を知らなくても、あるいは読まなくても、このタイトルだけで優しい想像を掻き立てられないだろうか。人の持つ優しい部分だけが詰まった本のような・・・
実際手にして読んでみると想像どおり、『やさしいきもちに ひたりながら、あすなろ号は としょかんへ かえります。』と書かれているよう、仄かな温かみが伝わってくる本だった。

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というわけで?この絵本に触発されただけではないのだが、根室市立図書館と、(あすなろ号の目的地でもある)納沙布岬を訪れてみた。図書館ではたまたまちょうどあすなろ号が出発準備を整えていたところだったし、作中の「岬の少し手前の小学校」、現在廃校になっている珸瑤瑁(ごようまい)小学校跡も車窓から見ることができた。

9月下旬だったので、どこに行ってもナナカマドが美しい実をつけていたが、もっと気になったのが大きな蕗(フキ)の葉。中標津空港から根室市街に向かう国道沿いのみならず、ありとあらゆる道路沿いに蕗が育っている。

絵本の表紙でも(下図)本を手に嬉しそうに笑っている子供たちの中に大きな蕗の葉を傘にしている子供もいる。蕗の傘といえばコロボックル(アイヌの伝承に登場してくる小人)。ハワイの伝説の小人メネフネと同様、とっても有能だがとってもシャイな人たち。コロボックルの正体については諸説あるようだが、和人よりも昔から北海道に土着していた人たちであるのは間違いないのだろう。

根室といえばもちろん漁業の町で花咲ガニの産地としても有名だ。あるいは北方領土と隣接した望郷の地というか。絵本の中では、司書のクマおじさんとみっちゃんがバスで色んな人たちと出会っていくのだが、クマおじさんは国後島の出身、『根室もいいけど、島はもっといいぞ。でっかいカニやホタテはわんさかとれるし、けしきもよくって おんせんもでるし』とも語っている。

たった数日訪れただけで何がわかると言われそうだが、ぼくの印象としては、「根室市」は結構整備された都市で、漁業の町なんだろうけども、「根室という土地」は、大湿原や大牧場や原野が広がる雄大な美しい土地、というものだった。

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実は前後して読んだ本に「一九四五 占守(しゅむしゅ)島の真実:少年戦車兵が見た最後の戦場」(相原秀起 著)という、太平洋戦争で日本が無条件降伏をした『後で』攻め込んで来たソ連軍と戦った日本軍の記録がある。占守島というのは、北方四島よりも遥か北、カムチャッカ半島と向い合せになっている北千島の北端の島のこと。

戦史としての内容は省略するが、北緯50度という極寒の地の、夏の風景の素晴らしさが何度も「天国」として描写されているのが気に留まった。短い夏の間に、可憐な高山植物が一斉に咲き誇る美しさ。実は根室でも短い夏の間に色んな花が一斉に開くようで、9月下旬というのに満開のアジサイや、タンポポなども目にすることができた。北千島はもちろんのこと、国後島も、そして根室も、本来「とても素晴らしい景色」の場所だったのだろうと想像が膨らむ。(もちろん冬の厳しさは半端ではないのだろうが)

完全にぼくの持論で、根拠を問われると困るのだが、ぼくは『人の心の優しさは、住んでいる場所の美しさに比例する』と信じている(笑)。住んでいる場所がすさんだ風景だと、心もすさんでいく気がしてならない。

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ついでに書くと、ぼくの脳内では北海道の歴史は以下のような階層でできている(^^)。

・美しい風景と共存していて、社会組織も大きくなかったコロボックルの時代
・社会組織が大きくなってきたとはいえ、それでも風景と共存していたアイヌ大首長の時代
・和人がアイヌ社会の中で共存していた時代(アイヌ > 和人)
・和人が「開拓」を始めて、アイヌを迫害した時代(和人 > アイヌ)
・アイヌの主権が無くなり、日本人が日本の土地とした時代
・日本がソ連/ロシアと争って戦争や国境紛争を起こしている時代、現代。

・・・こう考えてみると、北方四島のみならず、千島や樺太は本来誰のもの?という気がしないでもない。

ママチャリ改造効果あり

半年ほど前、とある事情で自転車(ママチャリだと思うのだがシティサイクルとかいうらしい)を衝動買いしていた。

都心で過ごしているとたいていの場所にはすぐ電車で行けそうなものだが、意外とそうでもなかったりする。直線距離だと1キロちょっとしかないのに、電車を1駅ずつ乗るような乗継ぎをした上に結構歩かないといけない、など。

そういうとき、今さらながら自転車が便利だなと思い直して重宝していたものの・・ここ中央区は一昔前は海の中、または海沿いだったということもあって運河だらけ。そしてもちろん橋だらけ。橋というのは構造上仕方がないのかもしれないが、どうしてあんなにアップダウンになっているのだろう・・朝潮大橋や新大橋なんてちょっとした小山を上るようなものだ。自転車にとってはキツイことこの上ない。

どうやら道幅が広いほどアップダウンも大きくなるようで、旧:楓(かえで)川、現:首都高都心環状線をまたぐ橋など、片道3車線の八重洲通を通している久安橋はちょっとした勾配になっているが、名も無い通りを通している松幡橋なんていうのは、完全に平べったい橋で、心の底から嬉しくなる。

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そして今さらながら、坂道を上るのが大変なのは、自転車のハンドルがいわゆる「かもめハンドル」で、グリップが手前に向いているせいで力が入りにくいからではないかと気が付いたのだ。力を込めると手がすっぽ抜けそうになる感じ。

ハンドルをロードバイクのようなストレートタイプにすれば力も入れやすくて解決するはず・・・と思い、まずは自転車の買い替えを考えた・・・が、結構高い。ママチャリの数倍の価格。遠方までサイクリングを楽しもう、とまでは考えていないのでちょっと躊躇。

しかもロードバイクとかは軽量第一なので、前カゴはもちろん、チェーンカバーすら無いものがほとんどだ。大昔、子供時代はよく自転車に乗っていたのだが、当時ちょっとカッコつけてスポーツ車(当時そんな呼び方だったと思う)みたいなものを使ってて、チェーンカバーが無いためにズボンの裾が巻き込まれたり、オイルが裾に飛び散ったりして親から散々文句を言われていたことを思い出した。

どうして部品が少ないくせに高いんだ?女性の水着でも生地代がほとんどゼロじゃないかと思えるようなビキニ水着のほうがワンピース水着よりも高いのと同じ原理か??

で、いちおう念のため、ストレートハンドルをパーツとして売ってないものかと探してみたところ・・・冗談みたいにたくさんヒットした。しかも、な、何と千円!?せんえん??

もちろん値段はピンキリではあるものの、安いものであればたった千円で入手できる。こ、これは「自分で交換しなさい」と神様が囁いているようなものではないか・・・

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とはいえ、具体的にどうやっていいかよくわからない。パっと見た感じはハンドルなんてそう易々とはずれそうには思えない。すぐはずれたりしないから安全なんだろうけど。

ところが、「自転車 ハンドル 交換」とかで検索すると、Youtubeの動画がいくつもヒットするのだ。そして懇切丁寧に交換方法、さらにはグリップのはずし方のコツまで動画で教えてくれている。神か?(笑)

というわけで、結構簡単にハンドル交換ができてしまった。ついでに少し調子に乗って、前カゴもビジネスバッグがすっぽり収まるワイドサイズのものに換え、ドリンクホルダーまでつけてみた(笑)。

安直な日曜大工とはいえ意外と達成感もあるし、そして何より、思ったとおり坂道が断然ラクになった!ママチャリユーザの皆さん、ストレートタイプへのハンドル交換、是非おすすめします。

「みんな」という言葉の毒

しょっちゅう目にし耳にし口にする「みんな」という言葉。この言葉、良く考えてみるとちょっと毒があるように思えたので書いてみる。

英語への直訳だと、all of us とか all of you とかall of them ということになるのだろうが、それだと「俺たち/お前ら/奴ら『全員』、一人残らず」という、かなり限定的な意味になってしまう。意味する範囲は「100%」ということになる。

もちろん、「みんな」をそのまま「全員」という意味で使う局面もあるだろう。引率の先生が生徒に向かって「みんなこっち来て~」というのは、「全員漏れなくこっちに来て」と考えて差し支えないだろう。all of youと訳しても問題無い。

でも、「みんなのうた」「みんなでゴルフ」というように、単に「多くの人、複数の人」という意味しかないのに、「一見、全員であるかのような」ニュアンスでつかわれることも多い。これを突き詰めると、「みんな」という言葉には「少しの人を多くの人のように見せかける」トリックが隠されているように思うのだ。

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例えば、子供が親にオモチャをねだるときに「みんな持ってるんだからボクも欲しい」という、ありがちなセリフ。そのとき、「みんなって誰と誰だよ?」と聞き返す親もいるのかもしれないが、たいていの親は「自分の子供だけが不憫な思いをするのはかわいそうだ」という心理になってしまうのではないか?

子供が言うのならまだしも、大人が「みんなの意見ですから」とか、「みんな使ってますよ」というときには、相手の横並び心理を刺激することで、自分に同調させようという狡猾な感じも漂う。「みんな」という言葉ひとつで、「あなた以外の全員が」というニュアンスを漂わせるなんてほとんど恐喝だ。

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「ほぼ100%」と主張したいときに使える便利な言葉「みんな」ではあるが、実際のところ何%が対象なのか極めて曖昧なために、「責任の所在の曖昧さ」が生じることもある。

あるグループに仕事を渡すとき、グループの代表者から「みんなで頑張って仕上げます」という返事をもらったとしよう。日本語として特に不自然な感じも無いから「じゃあよろしく頼むね」とでも返すことになるだろう。

しかしその「みんな」の中に、代表者は含まれているのかいないのか。代表者が言っていた「みんな」は「all of us」だったのか、自分の部下たちを示す「all of them」だったのかがわからない。仕事が成功したときには「all of us」、失敗したときには「all of them」と使い分けるつもりではないのか、等。

数年前、『みんなの党』というミニ政党が出現したこともあった。政党の理念とか政策内容以前に、党名自体に胡散臭さを感じてしまったのはぼくだけだろうか?「みんな」を強調すればするほど、実際は「自分のことしか考えてない」イメージがつきまとう。

「曖昧さ」というのは「柔らかさ」にもつながる。「全員」というより「みんな」のほうが優しい感じがするのでつい多用したくなる。しかし、「みんなのうた」が一体誰と誰のうたなのか決してわからないように、「曖昧さ」が「無責任さ」につながっているほうが多いような気がするのだ。

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「みんな」という言葉を使っていると、悪い意味での「集団心理」の陥穽に陥ることもある。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という風刺があるが、ここで言われている「みんな」は、客観的に見れば数人だろう。ところが渡ってる本人はもう「世界中の人が赤信号無視してOK」と思ってしまうのだ。

新幹線の車内で大騒ぎで宴会をして顰蹙を買ってるサラリーマンのグループ。彼らも、ひとりで新幹線に乗ってるときには大人しくマンガでも読むか居眠りでもしているのに、数人が集まった途端に気が大きくなって「何をやっても許される」気分になるのだろう。「みんなで騒げば怖くない」という感じか。

要するに、「みんな」と言ってる本人は「世界中の人」のつもりだが、客観的に見ると「ごく一部の数名に過ぎない」ということが多いのではないか。

なので、日常会話でやたらと「みんな」を多用する人に対しては、かなり警戒しておいたほうがいいんじゃないか・・・というのがぼくの結論。

豊かさについて考えた(「ダフニスとクロエ」から)

「ダフニスとクロエ」はラヴェルの組曲(特に第2楽章)が有名だが、曲を聴いて考えたのではなく、実は恥ずかしながら原作を初めて読んでいろいろ考えさせられた次第。(岩波文庫)

ざっとあらすじを書くと、高貴な装身具と共に捨て子とされ、なんと牝山羊がその乳で育てていた男の赤ん坊ダフニス、奇しくもその近所で2年後にまたも高貴な装身具と共に捨て子にされ、牝羊が乳を与えて育てていた女の子の赤ん坊クロエ。この2人がそれぞれ近所の山羊飼い・羊飼いに拾われ、それぞれ類まれな美少年・美少女に育ち、お互い自然に魅かれていき、幾多の困難を乗り越えながら最後はそれぞれ高貴な身分も明らかになって幸せに結ばれましたとさ、という話。

今から2千年近くも前!に書かれた予定調和的な恋愛小説なのに、色褪せた印象・退屈な印象を受けないことに驚かされる。山羊飼いの美少年、羊飼いの美少女という、現代のニッポンジンにはちょっと想像しにくい設定や、文中でたびたび出てくる神々との会話などから、小説というよりはある種の神話として読めるからなのかもしれない。登場してくる地名はギリシアに実在するものだし、盗賊や乱暴者、横恋慕するものや軍隊や男色家など、下世話で世俗的なシーンも多いが、全体としてどこかこの世の話では無いような透明感が漂う。

ギリシア神話自体が、下ネタも含めた結構下世話な話が多いということも考えれば、この話も、「小説」というよりは、エロース、ニンフ、牧神パーンといった神々に祝福された2人を題材にした「神話を取り巻く物語」といったほうが少し正確か。

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とにかく最初から最後まで、徹底して甘美なまでに美しい話なのだ。

ぼくが感じた美しさというのは3つある。ひとつは、「恋愛」というものの定義にもなりそうな2人の姿。美男美女が唐突に出会って恋に落ちてすぐさま結ばれるという話ではない。幼い頃からの知り合い、恋という概念すら知らずに魅かれあった2人。何年もの間ほとんど毎日のように遭い、キスを交わし続け、時には裸で寄り添いながらも、いわゆる最後の一線は超えない。倫理観による歯止めなどではなく、相手を傷つけたくないという真心から。

2つめは、2人が当然のように敬い、機会があるごとに供え物も欠かさないという、ニンフと牧神パーンへの信仰心。誰かに教義を教えられて義務感やリクツで信仰しているのではない。ごく自然に、ほとんど本能として信仰している。神々のほうも彼らの期待に応え、たびたび訪れるピンチを救ってくれる。また、直接登場はしないものの、愛の神「エロース」によって選ばれ、祝福された2人ということになっており、エロースがまた臨機応変に2人を助けてくれる。

3つめ。取り巻く風景の描写がこれまた美しい。まるで地上の楽園のように、花や果物が溢れ、風は優しく、小鳥たちがさえずり、飼っている山羊や羊たちもまことに従順。毎日が美しい幸福に包まれている。ダフニスの養父、「山羊飼い」ラモーンも「田舎の貧乏人」という記述であるが、彼が管理している庭園は王宮風に手入れされ、奥行1スタディオン(180m)、幅4プレトロン(120m)もあり、ありとあらゆる果実の樹や花壇でいっぱいだ。

本能のままに生きても、常に自分よりも相手のことを大切にしたいと思う心。神と人とが共存して対話していた時代、ヒトのできることには限界があることを謙虚に受け止めて、真摯に神を敬う心。そして優しく美しい自然に囲まれた環境。

・・・三島由紀夫が「潮騒」を執筆するにあたってダフニスとクロエからインスパイアされたというのも、こういう3つの美しさに魅かれたからではないだろうか・・・?

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世俗的な定義で言えば、ダフニスの養父もクロエの養父も「貧乏人」であり、ラモーンに至っては「主人に仕える召使」という位置づけ。彼らが育てているダフニスとクロエは、(人身売買の対象になるという意味で)「奴隷」ということになるらしい。

現代の日本にはもちろん奴隷はいない。自ら「中産階級」と位置付けて安心している人たちが大半だ。溢れかえる性情報を普通のことと思い、神を信じないのはもちろんのこと、ヒト同士も疑い合い、庭も無い3LDKのマンションをローンで買って一生の大半を縛られることを普通と思う人たち。

いったいどちらが「奴隷」なんだろう・・・

もちろん、ぼくたちだけが貧しいわけではなく、貧しさが世界中に広がっているからこそ、ダフニスとクロエの物語はいつまで経っても色褪せないのだろうとしみじみ思った。

過ぎたるは猶及ばざるがごとし

ぼくの会社は12末決算なので、2末が申告期限。やっと提出準備が整った。
そして、毎年思うことなのだが、税務って、複雑すぎてややこし過ぎるのではということ。

国民の義務だというのはわかる。ただ、義務というからには、「交通信号の赤は止まれ」と同じくらい、誰にでもわかりやすく、というのが基本じゃないんだろうか?

今回の提出分から、外国法人は提出書類が増えた。理由あってのことだとは思うが、たとえばその書類の記入欄に「法人税法第141条第1号に掲げる国内源泉所得に対する法人税額の計算」欄と、「法人税法第141条第1号に掲げる国内源泉所得に対する法人税額の計算」欄がある。

・・・「イとロの違い」を知ってる人間がいったい日本に何人いると思っているのか???(笑)

まあこれに限らず、「税理士」という職業が成立するくらい、税務は複雑だということだ。

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おそらく、頭も良くて、かつ、ヒマな人たちが、ありとあらゆるビジネスシーンを想像して、それら全てに対応すべく、微に入り細に亘ってルールを拡張していった結果がいまの税法なんだろう。その結果、複雑なルールを正しく理解して納税するには、資格を持った専門家が必要になってしまった。

とにかくここまでややこしくなると、税理士無しに申告するのも大変だし、申告された数字をチェックするほうも大変だろう。その結果、「税金を払う気マンマン」だった人すら、払う気がなくなるような気もする。

昔、ヨーロッパの教会が農民たちから税を取るために「十分の一税」というのがあったそうだ。全ての農作物の10%が神のものであるという起源によるものらしい。それが妥当なものだったかどうかはわからないが、とにかくわかりやすいことは間違いない。

日本でも、10%は大きすぎるとしても、たとえばすべての取引について、「取引額の1%を、受けたものが支払う」という「100分の1税」とかを導入してはどうだろう?

そのかわり、消費税も所得税も相続税も撤廃。お金が動くときだけ、お金を得たほうが1%を支払う。商売をやってる場合は売上の1%だし、給与をもらった場合でも家賃をもらった場合でもその1%が税金に回る。遺産を相続したら相続分の1%。わかりやすいことこの上ない。都度都度払ってもいいし、まとめてでもかまわない。子供に千円の小遣いを与えた時も、親が「10円は税金」と教えることで、子供のころから納税義務が身に付くし、税収の使途にも興味が向かうというものだ。

何万人という税理士が失職するだろうけども、日本全体の間接費が大きく削減されると考えれば彼らに転職してもらう価値は十分にあると思うのだが。

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税務のことばかり書いたが、ヒトの営みは、放っておくとどんどん複雑化し、先鋭化していくというのが人類の性(さが)なのかもしれない。どんなジャンルにでも「凝り性」の人というのはいるし、しかも「そのジャンルでひとりだけ」ではなく、「複数の人たちが競い合う」のが常だ。

知り合いに現代音楽を作曲する専門家がいるのだが、作曲家同士の作品発表を聴くと、これはもうほとんど「作曲家に聴かせるための曲」としか思えないような曲が集まる。

「60点取れればOK」ではなく、「俺は98点」「私は99点」「何を隠そうぼくは99.5点」「頑張って99.78点が出た」「99.889点」・・・コンマ以下の差なんて、普通の人にはわからないが、道を究めた人たちの間ではそれが重大な差異になるのだろう。オリンピックに集うアスリートたちも、そのコンマ以下の世界を競ってるのかもしれない。

頂点が高くなればなるほどすそ野が広がる。人類の文明はそうやって発達してきたのだろうと思うし、高みを目指す人たちがいなくなったら人類はいつか滅びてしまうのかもしれない。

しかし、くどいようだが、税務は高みを目指すようなものじゃないと思うのだ。。。

日比谷入江と江戸前島半島

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(『江戸の川・東京の川』鈴木理生著より転載)

東京の人にとってはもしかしたら郷土史として子供の頃に知るような話なのかもしれないが、関西から移住してきたぼくにとっては、400年ほど前には東京都心が上図のような地形だったというのは結構新鮮な知見。

東京/江戸の古地図というのは、結構たくさん残ってるようで、古地図マニアという人も多いし、古地図に関する出版物も夥しい。なので、深入りしようと思えばいくらでも深入りできる世界のようなのだが、ちょっと面白いのは、徳川幕府開府より前の地図というのはほとんど残っていないこと。

「歴史」というのが「記録された事実」と考えるならば、大胆な言い方だが、江戸・東京の歴史というのはたかだか400年くらいといってもいいのではないか。

以前、まったく別の場所について似たような感想を抱いたことがあるのを思い出した。その場所というのはハワイ。ハワイ王国が成立するのは1815年にカメハメハ1世が全島統一に成功したことによるのだが、その時点では、「ハワイには文字が無かった」のだ。(外国語として持ち込まれた文字はあったはずだが)それが、統一直後から怒涛のように押し寄せてきた宣教師たちによってハワイ語のアルファベット表記が行われ、夥しい出版物が発行されて、ハワイ統一以前も含めたハワイの歴史が「書物」として残されて現代に至っている。要するに、ハワイの「歴史」はまだ200年くらいしかない。

話が逸れたが、わりと有名な「日比谷入江」ではあるものの、それを示している地図は、なんと1枚(別本慶長江戸図)しか現存していないのだ。それも途中で千切れてるし。あとは、さまざまな傍証によって、「日比谷入江があったのは確実」とされているのだそうだ。傍証とは、たとえば貝塚の分布とか、ボウリング調査とか色々あるようだが、大ざっぱには約6000年前の縄文海進(有楽町海進とも言うらしい)によって日比谷入江とか江戸前島の原型ができたらしい。当時は茗荷谷のあたりまで入江になっていたようだ。

6000年前から400年前まで、海面の後退もあって入江は縮小したが、さほど大きく変わったわけでもないように見える。江戸氏・葛西氏・豊島氏といった豪族が割拠していた時代も、当時の地形を変えるようなことはしなかったらしい。劇的な変化が訪れるのは家康・秀忠・家光の三代にわたって行われた『天下普請』によるもの。天下普請というと、江戸城の大型リニューアル工事が有名だが、神田山を掘削して平川の流路を変え、その土砂で日比谷入江を埋め立てるなど、後世に残る地形の大変化が僅か数十年の間に起きたのだ。某社のCMの「地図に残る仕事」どころではない、「地形を変える仕事」だ。

いまでも皇居の中に入ると(一般参観で入っただけだが)、江戸城の「高さ」を実感することができる。石垣を積んだことによる高さ、というだけでなく、「ああ、もともとここは台地だったのだ」とわかるような勾配が至るところにあるのだ。

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さらにその後の東京湾岸の変化もとても興味深いものだが、やはりぼくが魅かれるのは「地図が残る以前」の地形。江戸前島は、もともとは鎌倉円覚寺の所領であったとか、江戸郷の前島村では飢饉が続いて百姓がひとりもいなくなった、とかという記録もあるようだが、記録の少ない分、想像が入り込む余地のほうが大きい。ぼくの脳内では、江戸前島半島は土地は痩せているが砂州とか松のある、ある意味リゾート地っぽいイメージ。そして日比谷入江を隔てて江戸城のある側は海食崖で切り立ったイメージ。徳川幕府が鎖国などせず、「海の向こう」に目を向けていたら、もしかしたら、立地を生かした海洋王国になっていたかもしれない、などと。。。

30代独身女性について考えた(On7第4回公演「かさぶた」より)

On7というのは、女7人ということだとは思うが、メンバーのそれぞれが俳優座とか青年座などのさまざまな劇団に属しながら、それぞれの劇団では演じにくい演劇をやってみようと集まった野心的な演劇集団。縁あって1回目から観させていただいているのだが、これまでの3回は女優さんたちそれぞれがなんらかの役を演じるという、当然と言えば当然の演劇だった。

それが今回、「自分たち自身を演じる」という面白い試み。脚本も「ディバイジング」という手法で、あらかじめ渡された脚本ではなく、脚本家と演者が共同して、場合によってはアドホックに作り上げるというもの。「自分たち自身」といっても、もちろん自己紹介を演劇にするわけではない。On7のメンバー全員が30代の女性だという共通点を活かし、喪失・生・思い出などといったテーマを通じて同世代の女性を演じるというものだ。

観た印象。(想像だが)女性が観るのと男性が観るのでは、感想がまったく異なるのではないか。女性の場合は、基本は「共感」があるだろうから、高揚したり落ち込んだりという進行に沿って、観ているほうもジェットコースターのような気分を味わえるかもしれない。しかし男性が観ると、わりと冷静に色々考えさせられてしまうのだ。ちょっと責められているような気分になるかもしれない(笑)。深刻な場面も多いが、まるでぶっちゃけた女子会を衆目に晒しているような場面をラップで演出というくふうもあって飽きなかった。

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30代の自立した独身女性というのは、「もっとも選択肢が多く、もっともアクティブな」人たちではないだろうか。言い換えれば、「もっとも可処分所得が高いか、もっとも時間をふんだんに使える」人たち。

かなり昔の話だが、西武百貨店が伝統的な外商制度を廃止し、「Club-ON」という、購買金額によって優遇するという会員制度への完全移行を行った。それまで百貨店に最も利益貢献してくれているのは(お金持ちの)外商のお客様と思われていたが、実は外商客からは値引き要請が多かったり、何しろ外商なので百貨店の人件費も相当にかかっており、決して「よいお客様」とはいえなかったのだ。真にもっとも利益貢献度の高かったお客様というのは、30代・40代の独身女性だった!彼女たちは自ら店に足を運び、店員をさほど煩わせることもなく、さっさと高額商品を買っていくということがわかったのだ。

とにかく男性から見ると、そういう彼女たちは、まぶしく輝いて見える。単に「若くて綺麗」という10代20代には無い、ある程度人生経験も男性経験も積んだ上での美しさもある。魅力に満ちているのだ。

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でも、彼女たちがいつまでも30代独身でいられるわけではない。時間は容赦なく経過していく。出産限界年齢という残酷な単語が頭をよぎることもあるだろう。社会的には充分一人前で、彼女自身が責任を持っている人たちもいるから、あっさり仕事を放棄するなんてできない。彼氏を作ろうと思えば作れるだろうけど、ここまで来て「誰でもいい」という軽薄な選び方はしたくない。慎重に相手を選んで行ったら妻帯者しか残っていないかもしれない。同世代には子育てに没頭している人もいる。親の健康もそろそろ心配だ。

もっとも輝いていて、もっとも選択肢が多く、もっとも悩み多き世代。そしておそらくその結果、もっとも忙しい(気の休まらない)世代。

演劇を観る前、実は「かさぶた」というタイトルがピンと来なかった。かさぶたから連想されるイメージは、こびりついて離れない記憶、というものだろう。俗な言い方だけど、「男は別名保存、女は上書き保存」と言われるよう、過去の思い出に執着するのはどちらかというと男のほうで、女性は「さっさと忘れて次に行く」ものだと信じていただからだ。

それが、今回の劇を観て思ったのは、彼女たちは少しくらいは「上書き保存」、すなわち「忘れる」という努力をしないと、カラダじゅうがかさぶただらけになってしまうくらい忙しいのではないかということ。「眩しさにやられたことのある」世の男性諸氏は少しは反省も必要かも。

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『ひとりだということ』という自覚的なセリフでスタートし、『返して下さいと誰に頼めばいいのだろう』という弱音も吐きながら、『自分が選んだ道だから!』というセリフでのエンディング。30代女子、強い・・・

オーケストラ!(2009)

なんだか三谷幸喜のコメディ映画のタイトルみたいで、たしかに映画全体はコメディ仕立てのところもあるけども、このタイトルではちょっと可哀想過ぎる気がした映画。原題は「le concert」というフランス映画で、本作のクライマックスでもあり、メインテーマともいえる「コンサート」とチャイコフスキーのバイオリン協奏曲(コンツェルト)を両方示すいい名前なのに。

なんとなく「愛と哀しみのボレロ」をなぞっているようにも思えた。ボレロが、ナチスドイツによるユダヤ人迫害という、悲劇の背景になるテーマがあったように、本作ではソ連共産党によるユダヤ人迫害という背景テーマもある。また、30年の時を経て明らかになる親子関係というところも・・・

ストーリー自体は、あまりにも都合が良すぎるきらいはあるし、ちょっとドタバタが過ぎるようなところもあるが、最後の15分を観るために、最初の1時間45分は我慢する価値は十分にある。そして最後の15分だけは2回でも3回でも観る価値があると思った。

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ボリショイ交響楽団の天才指揮者とうたわれていた主人公アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)。30年前、彼がオケの指揮中に共産党員に乗り込まれ、指揮を中断させられたばかりかタクトをへし折られたときの曲がチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。以来、天才指揮者はボリショイ劇場の清掃員にされてしまい、オケのメンバーも散りぢりに。さらに悲劇なのは、そのときソリストとしてフィリポフが抜擢した天才バイオリニストのレア。彼女はその後当局に逮捕されてシベリア送りとなり、そして・・・

とにかく、30年の時を経て、奇跡が起きる。30年前のオケが再結成され、パリのシャトレ座での公演が実現するのだ。ただ、ソリストはレアではない。フィリポフの強い要望で、フランスの若き天才バイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)が抜擢される。

ジャケもフィリポフのことは尊敬していたので共演自体は(すんなりではないが)実現するものの、ジャケはなぜ自分が抜擢されたのかは知らない。公演直前にフィリポフと食事をすることで、むしろ嫌悪感さえ抱いてしまう。そんな中で、とにかくコンサートが始まった。

オケのメンバーたちは30年のブランクがあるにも関わらず事前の練習などほとんどせず、本番まで一度も顔を出さないメンバーが大半。実際に曲がスタートしても、案の定?調子はずれの音が。招聘側のメンバーも「お願いだから神よ奇跡を起こしてくれ」とまで言い始める始末。

・・・ところが、奇跡が起きるのだ。ジャケの奏でる旋律が、オケの全員にとって決して忘れることのできない「あの音色」を彷彿させ、一気にオケは一体化して奇跡のようなハーモニーを奏で始めた!

ここからラストまでが(少なくともぼくにとっては)涙無しには聞いていられない15分となった。雪の降りしきる収容所で、楽器を持たずに演奏の練習をしているレアの映像がかぶさってくるシーンにも泣けるけど、なんといっても曲が始まってから終わるまでのジャケの表情の変化が素晴らし過ぎる。

最初は「こいつら大丈夫か?」と言わんばかりのクールな美人さんで始まった表情が、すぐに「なかなかやるじゃない」という表情に変わり、やがてオーケストラとのハーモニーを作るための必死の全力投球の表情になり、オケと一体となった恍惚の表情へ。そしてラストは自ら感動して号泣寸前の涙を浮かべ、心の底から嬉しそうな最高の笑顔でエンド。

特に全力投球のときの表情がたまらない。お父さん(この場合はフィリポフか)に必死で付いていこうとするけなげな女の子のようにも見えるし、卓越した技術者の表情にも見えるし。

チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトも改めて好きになってしまったかも。

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メラニー・ロランのあまりの美人さに、後日、彼女の出演作をさがして「複製された男」という映画も観てみたが、大失敗。ちょっと似ている別人かと思った。これ以上失敗を重ねてイメージを壊したくないので、それ以後は探していない(笑)。

大成丸と明治丸

大成丸というのは、「海のロマンス(米窪太刀雄:著)」という本で知った名前で、明治の終わり頃に旧制東京高等商船学校の大型練習船として世界一周した帆船(米窪もそのときの実習生。のちの初代労働大臣米窪満亮のこと)。明治丸というのは、初代の灯台巡廻船として活躍した船で、現在は越中島の東京海洋大学のキャンパスに固定展示されている(見学も可能)。

それぞれ別々の経緯を経て知った名前だったが、先日、明治丸を見学する機会があり、併設されている明治丸記念館に大成丸の遺品が飾られていたことから、はからずも両者が(ぼくの中で)つながった。

実は大成丸は2018年の現在も存在しているが、現在の船は2014年に竣工した4代目。世界一周した初代は昭和20年、神戸港内で米軍の残存機雷に触雷して沈没、実習生31名が死亡した。記念館にあった遺品はこのとき引き揚げられたものだという。

米窪が乗船していた世界一周航海は1912~1913の1年半にかけて行われ、彼が乗船中に書いていた日記を、帰国後に「大成丸世界周遊記」として朝日新聞に連載、その後、1914年に単行本にまとめて出版されたのが「海のロマンス」。夏目漱石も序文を寄せており、「漱石が激賞」という記事も書評にあったが、実際読んでみると、たしかに褒めながらも「余計な事まで書き過ぎだろう」みたいな批判もあって面白い。

ちなみに海のロマンス、古書としては数千円の価格で取引されているが、ちょっと高いかなと思って近所の図書館経由で都立図書館から取り寄せてもらって読んだ。ところが、とうに著作権が切れていることから、google booksで「無料で」全文読むこともできるようだ。

大成丸は木造、4本マストのバーグ型帆船。船体は白く塗装され、優美な姿だったようなのだが、いかんせん、モノクロ写真しか残っていない。明治丸は3本マストのシップ型帆船で、白く塗装された美しい姿を今でも見ることができる。大成丸も同じくらいの大きさだし(大成丸:82m、明治丸:74m)、「こういう船で世界一周したのか」と想像が膨らんでいた。

・・・ところが。展示されてる明治丸を見る限り、どう見ても美しい木造帆船なのだが、実はこれは改造後の姿らしい。本当は「補助帆付汽船」という2本帆の鉄製汽船で、灯台巡廻船として稼働していた頃は塗装は黒かったらしい。それが商船学校に練習船として譲渡された際、甲板に穴をあけてマストを1本増やし、塗装も変えたとのこと。

練習船としての使命も終わり、陸上に固定されてからは長らく放置されて老朽化しており、内部の見学などは無理だったようだが、あるとき昭和天皇が「祖父の明治天皇も乗船したことのある明治丸を見てみたい」と希望され、その途端に補修予算が計上されて大修理が行われ、見学可能な状態になったとのこと。

東京海洋大学は、旧商船大学と旧水産大学が合併した大学。現在は隅田川の支流に面しているように見えるが、開校当時は豊洲や晴海はもちろん月島も存在せず、思い切り東京湾に面していたらしい。東京湾の変遷はそれはそれで面白いけど、また別の項で。

残虐性について考えた(「インディオの破壊についての簡潔な報告」より)

人類の歴史は戦争の歴史だったという話もあるし、つい200年前くらいまでは奴隷制度が公然と認められていた国もあったし、いまだに身分制度で縛られて奴隷のような扱いを受けている人々がいる国もある。

人間でなく動物が相手でも、狩猟が紳士のたしなみという人もいれば、闘牛を観て熱狂する人もいる。直接的には死を伴わないまでも、狭い檻の中に動物を閉じ込めて見世物にすることは公然と推奨されている。

突き詰めて行けば、人間という生物が、他の生物を喰って生きて行かざるを得ない生物なのだから、食物連鎖という観点からも弱肉強食にもとづく残虐行為というのはやむを得ないともいえるのかもしれない。

否が応でもぼくたちはそういう「業(ごう)」を背負って生まれて来たのだから、毛皮のコートを着て捕鯨反対と言ってみたり、微生物や植物や昆虫を殺すことには何のためらいもない人たちが「動物愛護」を自慢することが滑稽に思えたりもする。

でも、ぼく自身は鯨肉も食べれば、害虫は駆除する人間だけども、敢えて「捕鯨反対や動物愛護と言っている人たち」の味方はしたいと思う。

当たり前の話だが、人間の「業」を素直に、100%、完全に認めてしまっては、社会というのもが成立しなくなる。どこかで「ここから先はダメ」という線引き(具体的には法律)で縛ることで、本能のままの殺傷行為を未然に防ぎ、社会に永続性が生まれることになる。「捕鯨反対や動物愛護」にどの程度の意味があるのかはわからないが、少なくとも「ここから先はダメ」という、理性にもとづく線引きのひとつだとは思うから。

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しかし、ここで話題にしたいのは、そういう「業」に根差した残虐性のことではない。残虐行為に快感を覚える人、そこまでいかなくても残虐行為が平気な人というのがこの世に結構いるのではないかということだ。

この世は競争社会だ。「序列」「順位づけ」の世界。受験やスポーツ競技などわかりやすいものから、ライバル企業に勝とうと考えている企業、限られたポストを争っている会社員、仲間の中で「いいね」の獲得数を自慢したい人、クラスで人気を獲得しようと狙っている子供、PTAの集まりで一番綺麗だと言われたいお母さん、お金持ちと言われたいお父さん、とにかくこの世は競争で満ちている。

そういう競争社会では、「自ら努力して」序列の上に行こうという人が大半だとは思うが(思いたいが)、なかには「ライバルを妨害して」序列の上に行こうという人が出てくる。

マウンティング女子という言葉がいっとき流行ったが、マウンティングをするのは女子に限った話ではないだろう。さらに言えば比較広告の類だってマウンティングといえなくもない。でも、「ライバルへの妨害」は、もしかしたらまだ競争の範囲かもしれない。極端な話、ライバル同士がお互いにマウンティングし合えば対等ともいえるから。醜い争いには違いないけど。

残虐性という言葉が想起されるのは、ライバルですら無い、序列の下の人を馬鹿にし、虐め、貶めることで、自らの歪んだ快感を満足させようという行為だ。さらにそこに「大義名分」が付加されると残虐行為には歯止めがなくなる。

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『インディオの破壊についての簡潔な報告』という岩波文庫がある。薄い本なのですぐに読了できそうだが、全てのページが想像を絶する残虐行為に満ちていて、1ページ読むのに相当な気力が要る。スペインという(当時の)超大国・文明国から乗り込んで来た数十人の男たちによって、大量殺人・大量強姦・大量略奪が容赦なく繰り返され、暴力行為のみで温和な国1つを滅亡させてしまったという記録だ。戦争では無いから銃で撃って一撃で殺したりもしない。残酷度を競うレジャーのようにえげつない暴力と殺戮と強姦が繰り返されたのだ。母国スペインの繁栄のためにという大義名分に裏打ちされて。

『インディオの・・』は16世紀の、想像を絶する実話のようだが、20世紀のナチスによる大量殺人や、(実話だとすれば)南京大虐殺、ソ連共産党による弾圧なども「人類はここまで残酷になれるのか」という証拠かもしれない。今世紀に入ってからもISのニュースなどを仄聞すると、規模は違えど同様の「大義名分に名を借りた残虐行為」が繰り返されているのかもしれない。

しかし、21世紀の日本、民度もずいぶん高くなったニッポンではさすがにその種の行為は無いはず。

・・と思っていたら、意外なところで、その疑似体験をしてしまったのだ。具体名は伏せるが、ソシャゲ(ソーシャルゲーム)の世界。たいていのゲームプレイヤーはライバルとの対戦を楽しみ、そこにはある意味スポーツにも似た爽快さがあるのだが、一部の歪んだユーザは「弱い相手に粘着して限りなく叩きのめす」ということに快感を覚えるようだ。相手が降参と表明していようが、ゲームを始めたばかりの新人だろうがお構いなし。そして自分の行為を「(自分の属する)グループが大量得点して序列を上げるため」という大義名分をかざして正当化する。

「大義名分さえあれば、思う存分残虐行為を働いても平気な人がいる」のはなぜだろう?
「おおかたの人は、たとえ大義名分があっても、残虐行為を働かない」のはなぜだろう?

子供時代のしつけの差?人生経験の差?あるいは遺伝子が違う?ぼくにとっての永遠のテーマのひとつかもしれない。