東京国立博物館といえば

今年(2013)のはじめに、長く閉館していた東洋館がリニューアルオープンしたというのが気になっていて、いそいそと出かけてみた。

そのついでにもう1つ見ておきたいものがあった。場所は東博の法隆寺宝物館のすぐ外側。ここに「博物館動物園前」という京成電鉄の廃駅の駅舎があるというのだ。そういう駅が昔あったということは知っていて、上野から京成電車に乗るとトンネル内の暗闇にぼうっと現れる地下ホーム跡を時々見かけては変な場所だとは思っていた。(今でも少し照明がついていて黄色い壁がよく見えるのだ)その入り口も一度は見たいと思いつつ、さほどの用事でもないので上野に行ってもいつも忘れていた。

初めて見ての印象は、「とても駅とは思えない(笑)」。おそらく博物館を意識したのか国会議事堂のミニチュアのような石造りの立派な建物なのだが、とても小さい(3m四方くらい)ので、赤いランプでもとりつければ「立派な交番」という感じ。解説入りのプレートがかけられていて、それによれば某NPO法人がこの駅舎とホームの有効活用を企画しているそうだ。

一度見て気が済んだので博物館入口に向かって歩いていると、いつもは閉まっている黒門が開いていて、ちょっとした人だかりができていた。何だろう?と見てみると、開いた門の向こうに見事な梅が咲き誇っている。どうやら休日に限って黒門を開けるという運用になったらしい。実は東博の中には小さな梅苑があってお気に入りの場所の1つだったのだが、黒門とこういう位置関係にあったというのは初めて知った次第。

とにかく入場して、東洋館に行く前に梅苑に戻ってみた。ここには十数本ほどの、古木といってもいいようないい感じの梅の林があるのだが、当日は満開で、あたり一面に梅の香りが漂っている。しかし「この程度の規模の梅林であればいたるところにある」と思われるかもしれないがさにあらず。

何が「さにあらず」かというと、この場所は宝物館の手前とはいえ博物館内ではややマイナーな場所なのか、ベンチと灰皿が設置されているのだ!感嘆符を打つような話ではないかもしれないが、昨今の喫煙規制の厳しさの中、ゆったり座って煙草をくゆらしながら梅を鑑賞できる場所というのは稀有ではないかと思うのだ。

・・・という長い道草のあと、ようやく目的の東洋館へ。閉館したのは何年も前だったので当時の記憶は定かではないのだが、そんな細かい記憶を手繰り寄せるまでもなく、閉館前当時とは全く変わっていた。とても同じ博物館とは思えない。(ここは感嘆符を打っても良いかもしれない)もちろん、いい意味での変貌だ。展示品自体が大きく変わったとは思えず、1つ1つは以前も見たような気がするので(気のせいかな?)、おそらく館全体としての印象が変わったのだと思う。大ざっぱにいうと、「見せてやっている」という帝室博物館的な感じから「楽しんでいってね」というフレンドリーな施設へと変わった感じ。

「テーマは旅!」というコンセプトを打ち出しているのも好感が持てる。大規模博物館は研究施設なのか啓蒙施設なのかというジレンマが常にあると何かで読んだことがあるが、今回のリニューアルは啓蒙施設のほうにも大きく舵を切った感じ。もともとは耐震工事のための閉館だったらしいが、その機会をとらえてこういう企画を推進してくれたスタッフのかたには大感謝。

宇宙じんをつかまえろ(計画編)

もちろん宇宙人ではなくて、宇宙塵(cosmic dust / space dust)のこと。先日ロシアに落下した隕石のニュースを見ていて、昔、まるで黒真珠のように綺麗な宇宙塵を観て感動したことを不意に思い出した。(たしか1mmより大きいのが隕石で、それより小さいのが宇宙塵ということだったと思う)

隕石が落ちてくるとニュースになったりするが、宇宙塵クラスの小さな奴はしじゅう地球に降り注いでいるので、わりと簡単に集めることができるようだ。古いビルの屋上などにいくと、長年降り積もった宇宙塵がたくさん採取できたりするらしい。ただし、宇宙塵よりも地球塵(煤や花粉やほこり、諸々)のほうが圧倒的に多いので、どうやってより分けるのかが大きな問題だが。

とにかくあの黒真珠の感動を再現すべく、実行計画を考えてみた。何をするにしてもこの段階が一番楽しい。

(1) まずは採集方法
すでに降り積もっているものを集めるのは何となくゴミ収集みたいなので却下。採集面積で考えれば、屋根に降った雨が全部集まる雨どいを利用するのが効率良さそうだが、うちはマンションなので、雨どいには「ホントウに雨水だけが流れているのか?変なものも一緒に流れてきていないか?」という疑いがぬぐいきれないためこれも却下。効率は悪いが、大きな漏斗で直接雨水を集めてペットボトルに溜め、それをろ過して観察しようと方針決定。別に急いでいるわけではないので日数はかけても良いし、漏斗もいくつか用意すればよいだろう。

(2) 選別方法
雨水の中にどのくらいいろんなものが集まるかで選別方法も考えないといけないが、隕石よりも「隕鉄」になりそこなった宇宙塵のほうが美しいようなので、場合によっては強力磁石をパラフィン紙か何かで包んで採集品をかき回せば良いのかもしれない。これは実行時に考えることにする。

(3) 観察方法
観察には顕微鏡が必要だ。実は実行計画まで考えようと思い至ったのは、数十年ぶりに顕微鏡について調べてみると、昔と違って実に便利なものが手頃な価格で手に入るということが判明したため、という即物的な理由も大きい。

昔同様、解像度(分解能)を度外視して「1000倍の高倍率」みたいな広告を出しているまがい物も見受けられたが、昔にはなかったものとして、「マイクロスコープ」というものがある(訳すと顕微鏡だが)。拡大の仕組みは普通の顕微鏡を同じだが、結像をCCDで受けてUSB経由でPCに送り込み、PC画面で見るというもの。望遠デジタルカメラと原理は同じかな。

昔は「見やすい」顕微鏡というと結構高価な複眼顕微鏡くらいしかなかったが、PC画面で見られるのならこれほど見やすいものはない。固定する台もついて価格も1万円前後で手に入る。用途としては宝石の鑑定やお肌のチェックがうたわれているが、それ以外にもエヘン虫(花粉)の正体とか、星砂なんかも見て楽しいかもしれない。うん、楽しみだ。

ポンペイの思い出(1)

ポンペイというと、おおかたの人は古代ローマ、ヴェスヴィオス火山の噴火で滅びた町を思い浮かべるかもしれない。しかしもう1つ、日本の近くに有名なポンペイがあるのだ。場所はミクロネシア連邦。この国を構成する大きな4つの地域、コスラエ、チューク、ヤップと並んで、首都パリキールのある島がポンペイ島だ。グアムから飛行機で2時間強。太平洋戦争当時は日本の統治下にあり、当時の呼称「ポナペ」で通じる人もいるかもしれない。

池澤夏樹の作品に「南の島のティオ」という、美しい短編童話集がある。ここでは詳しくは触れないが、「南の島ならではの不思議」と当たり前のように共存しながら現代生活を送っている男の子の話だ。感動的な話や涙を誘うような話ではないが、読後に心の芯が少し温まるという効果のある本でもある。で、このティオの住んでいる島がポンペイなのだ。本の中では実名は登場しないが、冒頭に島の地図が描かれており、どうみてもポンペイそのもの。話の中でも「ああ、あそこのことだな」という場所が色々登場する。

で、以下は数年前にポンペイを訪れたときの訪問記。目的はティオに会うため・・・ではなく、この島にある有名な「ナン・マドール(あるいはナン・マトル)」という遺跡。

有名な遺跡(のはず)だったので、島に行ってしまえば何とかなるだろうと思っていたのが間違いだった。ナンマドール行きの公共交通機関や定期ツアーなどは存在しなかったのだ。レンタカーを借りていくにも、現地は私有地の中なので勝手に入り込むと面倒なことになるらしい。

・・・・困った。これでは何のためにやってきたのかわからない。泊まっていた小さなホテルの主人に相談してみると、島で一番大きなホテルのほうに相談すれば何とかなるかもしれないとのことで連絡を取ってくれた。待つこと半日。「なんとかなったみたいだよ」と呼ばれたので行ってみると、なんと、そのとき島に滞在していた観光客たちに呼びかけて即席のガイドツアーを組んでくれたのだった。

参加者は国籍ランダムで10名弱。日本人と思われるのはぼくのほか、文科省から派遣されてきたという変わった人が約1名。そしてツアー・コンダクターというか、一行のリーダー兼船頭!は日本人の女性。聞くと、青年協力隊の仕事で島に来ているのだが、急きょアルバイトを頼まれたとのこと。(時々こういうことがあるらしい)。陸路ではやはり私有地の関係があって現地に行きにくいので、大きいほうのホテルの船着き場から、海路モーターボートでの出発だ。もちろん豪華なクルーザーなどではなく、一行は波しぶきでずぶ濡れになりながら進んだ。

・・・到着して驚いた。石造遺跡だとは聞いていたのだが、とにかくスケールがでかい。海中にせり出した巨大なヘリポートがいくつもあり、それらの上に遺跡が乗っている感じ。観光地としての整備はまったくなされていなかったが、迫力は十分だ。11世紀頃に存在した王朝の建物跡ということなのだが、具体的な建造方法などはよくわかっていないらしい。ヘリポート(と一応呼んでおく)とヘリポートの間の水路では地元のおばさんが洗濯なんかしており、のどかだなと思っていたら、つかつかとこちらに近づいてきて全員から『入場料』を徴収しようとしたのにも少し驚いた。

まあ小銭程度の入場料なのでみんなおとなしく払っていたが、くだんの文科省氏、おもむろに白紙の領収証とボールペンを取り出したかと思うと金額を記入し、おばさんに向かって「ここにサインしてね」と。おおお。こんなところでまで経費精算の準備とは。これにも少し驚いた。

地元の伝説によれば石が勝手に空を飛んで出来上がったということになっているのだが、そう考えてしまうのも無理は無いと思えるような巨大で精密な遺跡だった。ムー大陸やアトランティス大陸の名残ではないかという人もいるらしい。ポンペイで印象深かったことはほかにも多いのだが、視覚的なインパクトはここが一番。

3乗換4路線

東京メトロ(旧:営団地下鉄)の定期券の話。首都圏在住でない人にとってはどうでもいい話だとは思うが、定期券発行にあたっての『一筆書き』ルールというのがちょっと面白い。メトロの路線は大変に入り組んでいて、同じような場所を複数の路線が走ったりしているのだが、必ずしも「交差」しているわけではなかったりする。それをうまく利用して、「同じ駅を2度通らない」という条件で、とても複雑な定期券を作ることができるのだ。ただし無制限に複雑にできるわけではなく、唯一の制約条件が表題の「3乗換4路線」まで、というわけ。

たとえば、大手町-(千代田線)-国会議事堂前/溜池山王-(銀座線)-上野-(日比谷線)-茅場町-(東西線)-西船橋という、23区の東半分をほぼ網羅しているような定期券でも、その料金は、単純に大手町-西船橋を発券した場合とさほど変わらないのだ。「3路線4乗換の一筆書きでどこまで長い定期が作れるか、どこまで名所を網羅できるか」などというのは、なかなかに面白いクイズになる。上記の例だと、始点を大手町でなく、北綾瀬まで持っていくことももちろん可能。

ただし(ここは重要な注意点)、「定期券は、その券面に記載された経路どおりに使用すること」という決まりもある。例えば実際に上記の例のような定期券を発券したとして、路線内に含まれる大手町や日本橋、それらの駅で乗降可能だからといって、「大手町-(東西線)-日本橋」と乗るのはご法度。自由な経路で自由にどの駅でも乗降したい場合は、少々高いが「全線定期券」を購入するしかない。

あともう1つ、あまり複雑な経路にすると、PASMO定期券が対応できず、磁気定期券にしかならないという問題と、おそらく同じ理由だとは思うが他社線との一本化(というのか?)ができないという問題もある。

上記の例だと終点は西船橋だが、西船橋にはJRも乗り入れている。そこで終点をちょっと伸ばしてJR船橋までという定期券にしたい場合はどうするか。単純に大手町-(西船橋経由)-船橋であれば、普通に1枚のPASMO/SUICA定期券で対応できる。しかし上記のような複雑な経路だと、メトロ側はメトロ単独の磁気定期券にするしかない。

要するにメトロとJRそれぞれで定期券を用意すればいいのか?と思うかもしれないがコトはそう単純では無い。東西線とJR中央緩行線(黄色い電車)は相互乗入をしているため、東西線~JR船橋は、「乗り換えなし」で行ける場合もあるのだ。このときに2枚の定期を使っているとややこしいことになる。何しろ乗った側の定期には出場記録が無く、降りる側の定期には入場記録が無いので、自動改札機を通れないのだ。

ところが、そんなケースも想定した救済策というのが存在した。「連続定期券化」とか「ビット処理」とかいうらしいのだが、メトロ側もJR側も磁気定期券にしておき、駅で申請すれば「入出場記録のチェックを無効化」する処理をしてもらえる。これでようやく、上記の例だと「茅場町からメトロ定期券で入場し、船橋ではJR定期券で出場」ということが可能になる。

繰り返しになるが、定期券では「経路どおりに」乗らないといけないというルールがある。しかし定期券でなく、普通の切符や、あるいはPASMO/Suicaを利用して乗車した場合にはどうなるか?その場合は、「一筆書きであれば」経路を問わない利用が可能になる場合があるのだ。(いわゆる大回り、迂回乗車。もちろん定期と違って途中下車ができないのが原則)

特にJRは関東地方一周などスケールの大きな迂回乗車も可能なので、そのぶん面白い反面、あまりにスケールが大きすぎて、いくらルール上問題は無くてもJRに対するマナーとして如何なものかという議論もあるようだ。このあたりは機会があればまた別の稿で。

愛と哀しみのボレロ(Les uns et les autres)

1981年公開の有名なフランス映画で、ご存じの人も多いと思う。ぼくも大昔映画館で見て感激し、レーザーディスクも購入していた。(当時DVDなんて無かったのだ)。その後LDプレーヤーは故障してしまったのだが、その頃には世の中DVDの時代になりつつあり、いずれ気が向いたらDVDで買い直そう・・・と思ってプレーヤーの廃棄と同時にディスクも処分し、さらにその後忘れて長い年月が経ってしまった。

それが先日、ふとしたきっかけで「肉声によるボレロ」をどうしても聴きたくなった。有名な映画なので、とりあえず某有名レンタル店で借りてみようと考えて出かけてみたところ、見当たらない。あれ~?と思って在庫検索してみると、そもそも置いていないようだった。

そんなバカな、と自宅に戻って改めて調べ直してみると、愛と哀しみのボレロのDVDというもの自体が日本に流通していないことがわかった。1999年に一度発売されていたようなのだが、その後絶版になったようで、オークションを覗くとトンデモナイ価格がついている。レーザーディスク版は安価に出品されていたので、中古のLDプレーヤーを併せて買ってもそのほうがまだ安いくらい。

・・・しかし。一度は処分したLDをもう一度買い直すというのは大変に悔しい。それに、ディスクだけならともかく、LDプレーヤーをこのためだけに購入するというのは、いくらなんでも無駄遣いではなかろうか、と踏みとどまった次第。

ただ、「もう一度聴きたい」という願望は冷めやらず、全編でなく、当該の部分だけでも動画サイトにアップロードされていたりして・・・と、あれこれ探してみると・・・・あれこれ探すまでもなく・・・あっさり見つかった。Youtubeには山ほどアップされているし、fc2という動画サイトにいたっては、なんと全編が(3分割されていたが)存在していた。

おかげて、結局1円も使わずに目的を果たすことができてしまった。(画質の問題はいちおう、置いておくとする)。映画なので好き嫌いは当然あろうかと思うが、いわゆる名作には違いないはずで、そんな作品が動画サイトでしか観られない、逆に言えば無料で観られるというのは、何か世の中が間違っていると思うのだが。。。。

ついでに、コンテンツについての解説を少々。この映画、大ざっぱにはロシア、フランス、ドイツ、アメリカの音楽家(それぞれに実在のモデルがいる)とその家族・子孫が第2次世界大戦をはさんで織り成す物語なのだが、登場人物が極めて多い上、1人2役も多くて、ストーリーを正確に把握するのがかなり難しい。

別にストーリーのディティールがわからなかったからといって映画の価値を損なうようなものでは無いとも思うのだが、気になりだすと止まらない。「あれ、ジャックの親父というのは、ひょっとしてフォリー・ベルジェールの支配人と同一人物では・・?」というような些細な疑問が後を絶たない。

誰か詳しく解説している人はいないのか・・と調べてみると、「ヘラルド映画文庫」(日本で公開されたときの配給元が日本ヘラルドだ)に収録されていることが判明。さっそく入手し、細部に至るまでの疑問も全て解消されて大変に気持ちの良い思いを味わった。

しかし、このヘラルド映画文庫も絶版なのだ。ぼくは幸い安価に入手できたのだが、これだっていつ法外な価格になってしまうとも限らない。困った世の中だ。。。。

追記:どうやら2013年の早い段階でDVDで再販されることになったらしく、amazonで予約を受付けていた。やはり世の中捨てたものでもないのかも(笑)

Drupalでのフォームメールページ自作のススメ

昔、Htmlをガリガリ書いてサイト構築していたときにはフォームメールページというと、submitボタンを押してCGIを呼び出すもの、という方式だったと思う。
CMSを使うようになったからといってその方式が使えなくなるわけではないのだが、CGIでエラー表示などを行う際には、CMSのほうでのデザインに合わせてCGIも調整しなくてはならず、それに何といっても、CGIの部分だけがCMS配下にならないという、大変に気持ちの悪い問題が発生する。

もちろん、CMS側でもモジュールやプラグインが用意されていているのが通常で、たとえばこの「むくどり旋回中」はWordpress製なのだが、contactform7というプラグインを使わせてもらって問合せページをまかなっている。使い方も簡単だし、クラス指定ができるので細かいデザイン調整などもできる。(とはいえ、このサイトではテキストボックスの幅を広げたくらいで後は何にもしてないのだが)

しかし、contactform7に限らず、CMS用に供されているcontactフォームはたいてい舶来(笑)なので、ニッポン標準の「確認画面」が出ないのだ。フォームを埋めてボタンを押すといきなり送信してしまう。金額など、ドキドキしながら入力している場合にはちょっと心臓に悪い。また、結構きめの細かい指定ができるとはいえ、自社業務に固有のエラーチェックや、チェックの際に認証のためのDB問合せを行うなんてことはまず不可能だ。

ここで威力を発揮するのがdrupal。なんといっても通常の文章と同じようにphpのコードを書くこともできるので、全ての処理を1つの「ページ」に書いてしまうこともわりと簡単なのだ。
・formのactionを自分自身に設定する。
・「(1)初期状態」「(2)確認ボタンが押された状態」「(3)送信ボタンが押された状態」という3つの状態を認識してそれぞれで処理を書く。
・以上終わり。
(1)では普通に入力を受け付け、(2)では確認画面を出すと同時に思う存分エラーチェックを行い、(3)のときにメール本文を組み立ててmb_sendmailなぞを呼び出す。という内訳。

もちろん、その問合せページ自体もdrupalで設定しているテーマの管理下に入るので、正味、コンテンツ部分だけを書けばよく、全体デザインはテーマ任せでOK。

Drupalでcontactモジュールを使って複雑なエラーチェックを行いたいと格闘しているかた、あるいは自分好みの確認画面を出したいかたは、案ずるより産むが易し。自作してみるのが一番効率が良かったりして。

白ナイル

アラン・ムアヘッド著、篠田一士訳。青ナイルと対になっている本で、池澤夏樹が著書の中でたびたび褒めるので気になって読んでみた。

ときは19世紀後半、世界にはまだ知られざる地がたくさんあり、いわゆる『秘境への探検隊』が活躍した時代。

現代では地球上、ほぼどこに行ってもビールやコーラが飲めるし、GoogleEarthという想像を絶するアプリケーションによって地球のどこでもお茶の間から窺い知ることができるが、たった100年ちょっと前では、「ナイル川の水源は一体どこなのか」というのが地理学上の大問題だった。

この本は、バートン、スピーク、ベイカー夫妻、リヴィングストン、スタンレイ、そしてゴードン将軍という、それぞれアフリカ探検史上に名を残した人々の、ナイル水源にまつわる物語である。

当時のアフリカ大陸はその謎ゆえに暗黒大陸と呼ばれていたが、もちろん昔から多くの人々が住んでいた。彼らにとっては暗黒でもなんでもない、日常生活の場だったはずなのだが、決して楽園では無かった。なぜなら、トルコやエジプトなどの奴隷商人の格好の餌食になっていたからだ。

当時はまだ奴隷制度というのが違法とはされていなかった。また、名目上は違法ということになっていても、事実上は官僚が率先して奴隷の斡旋などを行っていたらしい。

どの探検家も、奴隷制度と向き合わずに探検を進めることなどできなかった。あるものは黙認し、あるものは厳しく対峙しながら、みな一様に重い鉛の玉を飲み込んで探検に向かっていったのだ。純粋な好奇心だけで、天真爛漫に探検できた人間などいなかった。

また、探検に成功してヨーロッパに帰国した彼らを待ち受けていたのも、決して歓迎だけではない。探検結果に疑義を抱いて声高に批判したり探検家のゴシップを探して回る人々は多く、また、探検家同士の妬みや嫉みなども半端ではなかったようだ。

それでも、彼らは一度ならずアフリカに向かうのだ。1週間や2週間の旅行では無い。数年間、アフリカで暮らしながら、文字通り生死をかけた探検だ。事実、探検の都度、多くの同行者が亡くなっている。もちろん、行くに当たっての表向きの理由はちゃんとあるのだが、どう考えても「断ろうと思えば断れる」のではないかというのが正直な感想だ。

彼らをそこまで惹きつけてやまなかったアフリカとは何だろうか?という問いかけがこの本の主題のような気がする。彼らがアフリカに行ったというよりは、アフリカが彼らを呼んだのだ。

かつてアラビアのロレンスが、アラブを嫌い、愛し、蔑み、尊敬し、自分の中のアラブを持て余してしまって、帰国してからも精神が母国になじまなかったのと同様のことがアフ
リカ探検家たちにも起きていたのではないだろうか。

長恨歌

ご存じ、白居易(白楽天)の有名な漢詩。

昔、学生だった頃、知人が、そのまた知人の中国のかたに岩波新書の長恨歌を読んでもらって録音した、という経緯のカセットテープを持っていた。読んだのは決してプロの声優ではなく、ごくごく一般の中国の人だったのだが、妙に響きが美しいので時々聴いては悦に入っていた。

もう長いこと忘れていてテープもなくしてしまったが、ふとしたことでyoutubeに長恨歌の朗読がいくつかUPされているのを知り、ちょっと聴いてみた。粵語(広東語)版だと、全く聞き覚えの無い詩になっていたが、國語唱のほうはなんとなく記憶が蘇ってくるようだった。

長恨歌というのは解説をするまでもないと思うが、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の愛の歌で、クライマックスは、天界に召された楊貴妃が現世の玄宗を訪ねてくるという最後の数行。

七月七日長生殿、夜半無人私語時
 (七月七日、長生殿で誰もいない夜に語り合った)
在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝
 (天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならんことを)
天長地久有時盡、此恨綿綿無絕期
 (天地は悠久といえどいつかは尽きる。しかしこの悲しみは綿々と絶えることはない)

・・・思わず涙を誘うシーンのはずなのだが、聴いてると、何か違う。なんだか明るい民謡を歌っているようにしか聞こえないのだ。多分語り手はそれなりに訓練を積んだ人で、「美しく謳う」ことに長けた人だと思うのだが、どうも技術に酔ってる感じがしないでもない。

ぼくの脳内で色々変換されて美化されている可能性は高いのだが、テープに残っていた、やや朴訥とした朗読のほうが心に迫るものがあったような気がする。こうなれば、知合いの中国のかたに頼んで一部だけでもお願いしてみようか。。。

レヴィ・ストロース 「神話論理」

受け売りをそのまま書くと、『構造人類学の探究の頂点、20世紀思想の金字塔。クロード・レヴィ=ストロースの主著『神話論理』全5巻(フランス語版原著全4巻)は、III 『食卓作法の起源』まで翻訳刊行が進みました。』

とあるので、とりあえず既刊の3巻分を借りてみた。

しかしとにかく、敷居が高いというか、ハードルが高い。

まずは物理的なハードルの高さから。

各巻それぞれ600ページくらいある大著のハードカバーで、電車の中で読むなんて無理。それぞれ、最近のノートPCよりも重い。価格もかなり高い。とりあえず買って、そのうち読もうというには、各巻8000円くらいするので、ちょっとためらわれる。

そして、何といっても内容のハードルが高い高い。

数百の神話を、極めて精緻に分析・分類することによって、思考のシニフィエとでもいうべきものを導き出していく過程が延々と続く。導出する過程で様々な対比軸や分類軸が提示されるが、どうしてそれらが対比軸に成りえるのかを理解するのが大変。

例えば、昼の太陽は、夜の天の川として表現され、夜の月は昼の虹として表現されるという。これはこれで、(昼間でも月は見えるじゃん・・・)などというツッコミを入れたくなるが、まだ直感的に理解可能な範囲。

しかしこれらを構造的に図示すると、天の川と虹が直行し、そのまわりをとりまく円周上に、太陽・月・星座が「1日の結合価」「月間の結合価」「年間の結合価」「季節の結合価」という説明を解して取り巻くような図が出てくるに至ってはさっぱりお手上げ。レヴィ・ストロースの考え方というか、脳内を理解しないと、多分、読めない。

「神話論理の森へ」という入門書があるようなので、やはりそちらから入って行こうか。。。

※ちなみに、この↑文章を書いていたのは2年ほど前(2009年)だったのだが、そのすぐ後、2009年10月30日に、レヴィ・ストロースは満100歳で亡くなった。また、2010年、第4巻(上下2冊)が刊行され、完結した。

みんぱく(国立民族学博物館)★

年数回のペースで通い始めてから、もうかれこれ20年以上になるかもしれない。

万博公園の中にあるので、大阪に土地勘のある人はわかると思うが、「何かのついで」に行けるようなところではなく、「よっしゃ行くぞ」と気合をいれないとなかなか難しい。最近(とはいえ10年以上前だが)モノレールの駅もできたのだが、そこからも徒歩15分くらいかかる。

気候も良くて気持ちに余裕があるときは、途中の自然公園を楽しみつつ、妙にたくさんいるカラスが威張っているのを眺めたりしながら楽しく歩けるのだが、猛暑のときなどはちょっと厳しい。

しかし、そのくらいの苦労をかける価値は十分にあってお釣りがくる施設なのだ。今年(2011年)の3月にオセアニア展示がリニューアルされた後まだ訪れていなかったので、猛暑にもめげず行ってきた。

ハワイの生協の実物大展示などはどこかに行ってしまっていたが、全体にすっきりして見やすくなったという印象。フロアの床が巨大な太平洋地図になり、そこに立つと、目玉展示のチェチェメニ号(※1)が凛々しく見える。

展示品の中ではひときわ大きく人目を引くチェチェメニ号だが、全長は10メートル程度、幅は50センチくらいしかない。こんなカヌーが、足元に見える幅数千キロの太平洋を自在に航海していたことを考えると、それだけでちょっと感動してしまう。

たしか数年前にも『オセアニア大航海展』という企画展があり、これは同時期にオークランド(NZ)の国立博物館で開催されていた「Vaka Moana(※2) – The untold story of the world’s greatest exploration」という企画展示の日本語版だったのだが、そのときの『海の人類大移動』というキーワードをより明確に打ち出したような印象がある。

今年は、オセアニア展示のリニューアルとも絡めて、『夏のみんぱくフォーラム2011 どっぷりオセアニア』を開催中だ。7月から8月の週末に、フラやカヴァやマオリのイベントが続々開催されるらしい。できれば毎週でも通いたいくらいだが、そう都合よく出張を作れるものでもないので、ちょっと悲しい。

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※1:チェチェメニ号
ミクロネシアの片隅にサタワル島という小さな島があるのだが、21世紀の現代でも、GPSはもちろんのこと、羅針盤すら使わず、星や風や波を見て太平洋を航海する航海術(Star Navigationという)が伝えられている。ハワイの有名なホクレア号の航海士、マウ・ピアイルグもこの島の出身。チェチェメニ号は1975年、沖縄海洋博のためにサタワル島からStar Navigationで来日参加したアウトリガー・カヌー。その実物がみんぱくに展示されているのだ。

※2:Vaka Moana
直訳すると大洋のカヌー、というような意味。(たぶん、ほぼ全ポリネシアで共通の単語。)この年たまたまぼくはオークランドの国立博物館を訪れており、2か国でVaka Moanaを見た、という、つまらない自慢(笑)