東洋陶磁美術館 ★

ぼくが大学生だった頃に開館した、東洋陶磁専門の美術館(大阪中之島)。

学生の頃はわりと足繁く通って随分と目の肥やしにさせていただいていたのだが、就職と同時にだんだん疎遠になってここ10年くらいは訪問していなかった。久しぶりに訪問すると、李秉昌(イ・ビョンチャン)コレクションが独立して3階に部屋を持ったりしていたが、基本は開館当初と変わらぬ配置で懐かしさも蘇ってきた。

世の中に美しいものはたくさんあるし、何を美しいと思うかはもちろん人によって違うとは思うが、少なくともぼくにとっては1つの美の基準というか、「美しさというのは本来こういうことなのか」と、つい大げさな感想を抱いてしまうような作品が多いのだ。

白磁の作品は「凜」という語感がまさにぴったりくる印象で見るものを緊張させてくれるし、青磁の名品の数々は、その柔らかさから、見ていると吸い込まれてしまうような気になってしまう。粉引の作品群からは「陶器のある楽しい生活」という想像が膨らむ。

ぼくは普段プラスチックのマウスやキーボードで仕事しているわけだが、『仕事の道具』としては便利には違いないものの、いかにも安っぽいし緊張感が無い。書き間違えればいくらでも書き直せる。墨をすり、白磁の筆筒から筆を取り出し、原則として書き直しのできない文章を書いていた、いにしえの文人達の頃とは、文明は発達しても文化のレベルは相当に下がっているのかもしれない。

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陶磁器の鑑賞には照明の具合が非常に重要な要素であるらしく、国宝の飛青磁などには工夫を凝らした柔らかい光があたっている。解説をそのまま転記すると、『古来、青磁を見るには、秋の晴れた日の午前10時ごろ、北向きの部屋で障子1枚へだてたほどの日の光で』という言い伝え?を忠実に再現したということらしい。

最近、仕事の関係で、(光の)拡散板を扱う会社とお付き合いがあるのだが、さまざまなタイプの拡散板を駆使することで、とがった眩しい光でも、自在に柔らかい光に変換できるらしい。それは照射角度や拡散角度で表現される極めて物理的な世界の話なのだが、陶磁器基準で「鉄砂をもっとも際立たせる拡散照明」「白磁の緊張感を最大限に引き出す拡散照明」というような、文科系的なアプローチがあってもいいのではないかとも思うのだ。

大阪といえば・・

東京大阪の比較ネタというのは、秘密のケンミンショーを見ても分かるように無限にあるのだが、極めて個人的な思い出をいくつか。

西梅田の地下にkioskふうの売店がある。(普通にある例のやつ)。その店で唯一他と変わっていたのが、タバコも売っているため、「こばた」と、赤地に白い小さな看板が出ていたこと。ある日、同僚数人とそこを通りかかったとき、その中の1人(女性)が、ちょっと驚いたふうに「小旗なんか売ってて誰が買うんやろね?サッカーの応援かしら?」とつぶやいた。

もちろん一同爆笑で、「小旗屋て、どんだけマイナーな店やねん」とか「俺イタリア1つ~とかフランス2つ~とか言うんかい!」とか散々からかわれたということがあった。ただ、大した話でもないし、その後そんなことはすぐ忘れた。

ところが数年後、東京に転勤して驚愕したのは、馬喰町のあたりをたまたま歩いていると、ホントウに「小旗屋」があったのだ!イタリアやフランスの小旗がショーケースに並んでる。

やはり東京は大都会だ・・・と思ってしまった一瞬。

もう1つ。御堂筋の地下、近鉄なんば駅への階段の近くに小さな売場があって、朝は新聞やらタバコやらを買う客で相当混雑している。

この売場をたった1人でさばいているオバちゃんがとにかくすごいのだ。人間技とは思えないスピードで客をさばいていく。「すごい」と思ったのはぼくだけではないようで、『1分で60人以上の客をさばくおばちゃん』として朝日新聞の記事にもなっていた。

このくらいのスピードになると、買うほうも少し緊張する。オバちゃんと対面になった瞬間には、商品と現金を明確に示せていないといけない。オバちゃんは0.1秒ほどそれらを画像認識したあと、おつりの要不要とおつり金額を瞬時に判断・計算し、おつりを渡しながらすでに次の画像処理を併行して行っている(に違いない)のだ。オバちゃんと対面になりながら、「やっぱりこっちの新聞かな」なんて迷おうものなら周囲から怒号が飛んできそうな雰囲気がある(笑)。

ちなみに、この売場に隣接している近鉄なんば駅へのエスカレーターは、朝は「高速運転」をする。『真ん中のエスカレーターは高速運転をしています』というアナウンスを聞きつつ、近鉄から御堂筋への乗り換え客は、脱兎のごとく高速エスカレーターをさらに駆け上がり、この売り場で新聞を買って電車を乗り換えるのだ。

さらにちなみに、どこかの調査で、世界の大都市で人々の歩行速度を測定したというヒマな記事を読んだことがある。それによれば、大阪市民の平均歩行速度はニューヨーカーをも凌ぎ、堂々の世界第一位だった。

時々、東京の日本橋とかで込み合うkioskを見ながら、「まだまだやな」と思ってしまう瞬間。

新川 明 「新南島風土記」

なぜ「新」なのかというと、東恩納寛惇の『南島風土記』を踏まえたネーミングであるかららしい。ただし、この本で登場してくる地域は八重山、すなわち石垣島以西の島々に限定されている。

著者の新川明氏は沖縄タイムズ社の新聞記者で、労働組合運動に関わったことから、いわば左遷として八重山に「とばされた」そうだ。(あとがきより)

時代は1960年代、もちろん沖縄「県」ではなく、米軍占領下の琉球政府の時代だ。これもあとがきをそのまま書くと、『当時の八重山についての沖縄本島人のイメージはとてつもない僻遠の島というところで、八重山行きを知らされた那覇生まれの家内は、まるでアフリカの奥地にでもやられるかのように嘆き悲しんだものだ。』とある。

その八重山での「仕事」として、島々を取材して回って新聞連載した記事をまとめたのがこの本である。1972年の沖縄復帰後、観光・リゾート地として認知される以前の八重山についての最後の貴重な記録といった側面を持っている。

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沖縄対八重山というのは、現代ではあまり大きな区別が無いようなイメージがある。ハワイでの、オアフ島対ネイバーアイランドの関係に似ているかもしれない。しかし、一昔前までは、八重山というところは、確実に沖縄の「1つ下」の地域だったらしい。

1609年(日本の慶長14年) の薩摩入り以後、薩摩の厳しい徴求に苦しんだ琉球王府は、両先島と呼ばれた宮古島と八重山に対して一層支配を強め、確実な徴税法として人頭税を課した。

これは読んで字のごとく、所得や所有する農耕地の広さに寄らず、単純に「頭数」で課税する制度で、貧しい人々にとっては、「トゥングダ(人升田)」「クブラワリ」といった、凄惨な人減らしによってしか重税に対応できなかったという酷いものだったようだ。しかもその制度が、明治政府になった後も数十年、1909年まで続いていたというのも驚きである。

江戸幕府から見れば外様の薩摩藩。その薩摩藩に収奪された琉球王国。そして、その琉球から過酷に収奪された宮古・八重山という階層構造があったのだ。

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新川氏の取材成果物の中には、多くの詩や歌、伝承が登場してくる。そもそも八重山自体が「詩の国、歌の島」と呼ばれることもあるらしい。今、竹富島に観光に行って名物の水牛車に乗ると、そこで安里屋ユンタなどを歌ってくれる。「ツィンダラ、カヌシャマヨ~」など、いかにも南国に来たなぁ~という気にさせてくれるものだが、この安里屋ユンタは、最近になって観光用?に作詞さらたものらしく、オリジナルの安里屋ユンタをはじめ、八重山に伝わる多くの歌は、権力者に対して無力だった人たちのギリギリの叫びのようなものが大半だったらしい。

そういった、人頭税を軸とした八重山の悲しい歴史や、遂に立ち上がったオヤケアカハチの伝説、マラリヤの巣窟だった西表島の話など、観光案内にはあまり語られない話に満ちているのだ。

ちなみに、一部の人々(^^)の間では非常に有名な下地島も登場してくる。八重山の古代的祭祀であるアカマタ・クロマタという、ニイルピトゥという神が、ニライ・カナイの国から毎年訪れて豊年を授けるという伝承にもとづく行事が下地島にもあったらしい。
しかし取材の時点では住民は四散して無人島になっており、さらに注釈として、『下地島は、その後、那覇の青年実業家が全島を買収して牧場を経営している』とあるのだが、今では「空港の島」でしかないことは言うまでもない。

国立博物館

くにたち、ではなく、National Museumのこと。

周囲の人たちには広言しているよう、ぼくは博物館が好きだ。この雑文集でも、これまで訪れたいろんな博物館について折りに触れて書いてみたいと思うのだが、この項は「行ったことが無い」博物館について。

国立博物館は以前は全国に3館あった。東京、京都、奈良にそれぞれ1つずつ。(東京大阪名古屋で無いところが渋い。)そしてこれに千里のみんぱく、上野の科博、佐倉の歴博を入れて合計6つ。

学生時代は京都に住んでいた。就職して北大阪にある会社に勤務し、結婚して奈良に住居を構えた。その後転勤で関東に移り、独立後も都内で働きながら今は佐倉に住んでいる。・・・おわかりだろうか?全く意図したわけではないのだが、ぼくはこれまでの人生、自分で生活地域を決められるようになってからは、国立博物館のある地域だけを転々としていたのだ!

それぞれの博物館にはいろんな思い出があって、奈良博は、以前は毎年の正倉院展には欠かさず通っていたし、京博は学生時代にバイトしていたこともある。科博は近いのでリピーターパスを活用しているし、みんぱく(国立民族学博物館)は今でも大阪に出張の都度、時間があれば必ず立ち寄るくらい。などなど。

しかしそんな中、2005年(だったと思う)に、九州は太宰府市に、「九州国立博物館」が4館めの博物館として誕生したのだ。これは嬉しい。しかし悔しい(遠いので)。それまで出張で博多に行くことも何度かあったのだが、博物館の誕生以降、なぜか機会が全く無くて、2011年の今でも訪れたことが無い。

しかし、いつまでも機会を待っていても始まらないので、今年は九博を訪れるためだけに福岡まで行ってみようか。

麻雀博物館

ちょっと毛色の変わった博物館のご紹介。

何気なく房総半島の地図を眺めていると、唐突に飛び込んできたのが「麻雀博物館」という文字。しかも、麻雀という何となく猥雑な夜の感じがするような場所ではなく、陽光溢れる保養所でもありそうな海岸沿いにある。

一体なんだこれは・・・?と思い、早速ググってみると妙に立派なWebサイトが見つかった。

地元のかたには失礼とは思うが、都内基準で考えるとずいぶん辺鄙な場所にあるので、行き方というか交通案内もややこしいのでは?と思ったのだが、なぜか、『飯田橋』起点での詳細な行き方が記載してある。なにゆえ飯田橋?とも思うが、下記のURL自体がその答になっているようだ。

http://museum.takeshobo.co.jp/index.html

そう、雑誌「近代麻雀」とかでおなじみの竹書房に関連した施設のようなのだ。(竹書房の本社が飯田橋)

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とにかく気になって仕方がないので行ってみた。

JRだと外房線の上総一ノ宮からタクシー8分、あるいは東浪見(とらみ)から徒歩20分とある。サイト上の案内が「徒歩20分」ではなく、「徒歩20分。。」となっているのが妙に可笑しい。

とにかく展示品の豪華さに驚かされる。日本のみならず、中国本家や欧米での麻雀の歴史が概観できるような展示なのだが、博物館にありがちな「学芸員による解説文」とかは少なくて、とにかく歴史を物語る「本物」がズラリと並んでいるのだ。ラストエンペラー溥儀愛用の象嵌入り牌とか、戦後、巣鴨プリズンに収容された高官達が使っていた牌とか、一体どうやって入手したのか・・・

こんな豪華な展示がありながら、平日ということもあって訪問者はぼく1人。おそらくぼくのような訪問者が誰しも抱くであろう疑問、『なんでまたこんなところに・・・』と受付の男性に訊いてみたところ、実はここはもともと竹書房の保養所(やっぱり!)だったようで、それを有効活用したんだとのこと。建物の半分は今でも保養所になっているらしい。

土産品も珍しい麻雀グッズで溢れている。麻雀仲間やついでに雀荘のスタッフにまでお土産を衝動買いしたのだが、大変に喜ばれたことは言うまでもない。

WebDAVとODBCとXp

こんなタイトルに興味がある人は多くは無いとは思うけれど、連休中のちょっとした成果だったので、備忘録も兼ねて書いてみる。

コトの始まりは先日の決算にあたって諸経費を集計してみたこと。顧客から委託を受けて管理しているWebサイトも多いのだが、年間のホスティング費用がホスティング業者数社にまたがって結構莫大な金額になっていた。(集計するまで気が付かないというのもどうかとは思うけど)

専用サーバーも安くなってるだろうし、まとめて1か所に移してしまえ・・というのが発端。

探してみると、確かに安くなっている。なかでもkagoyaのサービスは月額5千円~という信じられないような価格。マルチドメインも10ドメインまでは無料。しかも、postgreSQLが外部接続可能!WebDAVも実装している。もちろんsshアクセスもOK。

・・こ、これは、開発環境も全部移してしまえるのでは・・・?
ただ、あまりに話がうますぎるような気もして、そのへんに詳しい知りあいに相談してみると、CPUがショボい。共用サーバーのほうがだいぶ速いのでは?とのこと。

うーん、やっぱりそういう落とし穴か・・。とは思ったものの、スペックの魅力には勝てず、「使い物にならなかったら、最悪でも今のまま」と開き直って連休初日に契約。即、設定完了の返事も来た。

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まずはPostgreSQLのDBを移行してみる。移行元のバージョンが7.1.3と相当古く、移行先は8.1.21。DBごと移行してみたところ、ごく一部のテーブルに「変なコードが入ってる」と言われた程度であっさり完了。ほほう。

そして、事務所のPCのexcelからアクセスを試みる。ODBCはやたらたくさんのバージョンが出ているが、08-02くらいと見当をつけて入れてみる。ところがこれが一筋縄では動いてくれない。Windows7-excel2010という、今となってはさほど最新とは言えない環境なのだが、環境が悪いのかな??
しかたが無いので、WinXp-excel2003が入っているPCで動かしてみると実にあっさり稼働。まあ良しとしようか。

次にWebDAV。ネットで調べると、どうもWindows7ではマトモに動かないらしい。SSLが必要とかいろんな記事がヒットするが、結局のところ、コマンドラインから
net use でドライブ割り当てるだけで、『ファイル保存のための外部ディスク』としてはあっさり使えるようになった。

ところが、テキストファイルはともかく、excelとかppのファイルが開けない。「互換モードでOK」という記事もあったが、やっぱり無理。仕方がないのでやはりXpのPCで、普通に「ネットワークスペースを追加」してやることで、問題なく使えるようになった。

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というわけで、当初の目的のサイト管理先統合は、単に時間と手続きの問題なので近いうちに実施することにして、開発環境の移行、流行の言葉で言うと「クラウド化(笑)」が完了してしまった。

え?スピード??・・・・・たしかに遅い。phpの実行時間はこれまでの3倍くらいかかるようになってしまった。ところが、DBの実行速度が劇的にUP。(これまでが悪すぎたのかな)大雑把にいうと、処理速度3倍。まあ、これでトントンと考えて、これから長い付き合いを始めていこうか。

クワジェリン基地

以前、マーシャル諸島のマジュロというところに出かけたことがある。

グアムからホノルルまで、もちろん直行便もあるのだが、途中、チューク(トラック)、ポンペイ(ポナペ)、コスラエ(クサイエ)、クワジェリン(クエゼリン)、マジュロ、と各駅停車のように立ち寄りながら飛ぶ「Island Hopper」と呼ばれている便があり、とっても風情があって良い感じなのだ。(機材は737)

マジュロでの出来事も色々あったのだが、強烈な思い出になってしまったのが、帰路のクワジェリン。帰りはもちろんホノルルからの便を待ち、グアムに向かうのだが、その日は(その日も)飛行機の到着は遅れ気味。待合室で隣にいた老人と「まだですかねぇ」みたいな会話をしながら、かれこれ2時間ほどの遅れで出発。

ちょっと待ちくたびれたのもあったのか、乗っていきなり居眠りをしてしまった。「ハッ」と気づくと、機はクワジェリンに到着しており、アナウンスが何か言っていたようだが意識が戻ったときには皆ぞろぞろと降機を始めたところ。

ここで強烈な疑問が。「皆ぞろぞろ???」

クワジェリンというのは米軍のミサイル基地がある島で、観光客含め一般人は降機することができない。往路、マジュロに行く便でもクワジェリンに駐機中に兵士がドカドカ乗り込んできて、乗客が怪しい荷物を持ちこんでいないかチェックがあったくらいだ。ただ、米軍も多少は配慮しているのか、ドカドカ乗り込んできたのは可愛い女性兵士ばかりだったが。
「ハイ、チェックします~」「どんどんチェックしてやってちょうだい~」というノリ。

そんな経緯もあったので、聞き逃したアナウンスで「何かの事情でいったん全員降りることになった」と言っていたのであろうと、冷静に分析。見回すと、待合室で会話していたご老人もスタスタ降りてるので、もはや疑いの余地なしと思い、皆について行った。

そして基地の入口へ。ちょっとドキドキしながら中に入ると、いきなり女性兵士たちのお出迎え。「ようこそいらっしゃいませぇ~」「お荷物はどうぞこちらへ~」と、下にも置かぬ歓迎ぶり。「えっ」と驚きながら先に進むと、「みなさんちょっとココでお待ちを。ガイダンスを始めます~」とのこと。

聞くと、「基地内一周自転車ツアー」か「ポリネシアン・ダンスショウ」のどちらかを選択できるとのこと。基地内一周なんて滅多にない機会なので、もちろん自転車ツアーのほうに申し込み。「ツアーを申し込んだ人には臨時の許可証を発行しますので、写真撮りま~す。書類に記入したらこちらにお並びを~」と案内があった。

ここでちょっと不安が。

ツアーに申し込んだ人たちとダンスショウを申し込んだ人たちは合計しても20人くらい。さっきはもっとたくさん降りたような気がしたが。全員降りていれば100人以上はいるはず。残りの人たちはいずこへ??そして、そもそもこんなことをしていて飛行機の出発時刻に間に合うのか???さっきの老人はと目で探すと、行きかう人たちが皆深々と敬礼し、老人は鷹揚に答礼している。「あれ??ひょっとしてエラい人だったのか?」

とにかく不安を抱えたまま書類を記入して撮影窓口へ。階級(order)なんかも書く欄があったがもちろん無視。ところがここで受付の美女の顔がちょっと曇った。
「あなた、階級は?」
「階級て。そんなもんあれへんで。トラベラーやがな」と堂々と回答。
「何??とらべら~~???飛行機に乗らないの??」・・そんな大声出さなくても。
「もちろん、乗るよ!」
・・・受付の女性が慌ててどこかに電話するとたちまち現れたのが屈強な黒人男性兵士2名。2人に両側をはさまれ、ほとんど連行されるように基地の外へ。「そう!カバン!カバンを置いたまま!」と言うと、「自分で取りに行け」とアゴで示されてしまった。また、基地の横に、いかにも従業員専用というようなエリアがあり、さっきの「残りの人たち」はそこにいた!そうか、基地職員だったのか!

連行される途中で恐る恐る話を聞いてみると、今日は退役軍人の来訪がたくさん予定されていて、その歓迎会だったらしい。

そして飛行機に戻ってみると、私が座っていたあたりから前は誰もいないのに、後ろは全員着席している。当然、視線も厳しい。
そういえば座席の予約をするときに何故か最前方のほうが全く取れなかったのだが、そうか、軍関係者で埋まっていたのか。。。そんな状況で予約できる一番前の席を取ってしまったのがそもそもの間違いの元だったのか。

しかし、アメリカの退役軍人かどうかくらい、見た目でわかりそうなものだと思うのだが、ハワイは日系人の軍人も多いし、見ただけでは判別できないのかな。。。

とにかく、(たぶん大幅に待たせてしまった)後ろの人たちの視線が怖くて、眠くもないのにグアムまでずっと寝たふりをしていた私でした。。ああ、恥ずかしい。。

シンドラーのリスト ★

CATVの某チャンネルで放映されているのを録画して、久しぶりにじっくりと観た。「久しぶりに」というのは、実は1994年の公開当時に観に行ったのだが、あまりにも気が滅入るシーンが延々と続くために2時間ほどで挫折して映画館を出てしまったという経験があるのだ。(上映時間は3時間強に及ぶ)

ホロコーストを描いた映画で、オスカー・シンドラーというドイツ人実業家が、結果として1,100人ものユダヤ人を救ったという物語だが、映画の出来栄えについて語りたいわけではなく、気になる登場人物について書いてみたい。

その人物とは、アーモン・ゲート。映画の中では残虐と腐敗の権化のように描かれているSS将校で収容所長だ。調べてみると、実際に残虐な人物であったらしく、強制労働とかでなく、面白半分でも500人以上のユダヤ人を射殺していたらしい。

金にも汚かったようで、ユダヤ人たちの財産を私有化していた上に、収容所長という立場を利用しての汚職にも枚挙にいとまが無いほどだ。もちろん彼は戦後すぐ、「非人道的な行為」という罪で処刑されている。

しかしオスカーはこのゲートを巧みに利用し、多額の金で買収することによって、移送されるはずだったユダヤ人たちを自分の工場に残したり、戦争末期、アウシュビッツへの移送命令が出ている中、映画の表題でもある「シンドラーのリスト」を作成して、多くの命を救うことができたのだ。

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アーモンが100%純粋な悪人であったとしたらどうか?恐らくはオスカーから多額の金を受け取った上で約束を履行せず、場合によってはオスカーまで逮捕させてしまうのではないだろうか?権力を持っている収容所長とはいえ、囚人(そういう表現だった)の一部を強制労働から除外して民間企業に委ねてしまうというのは、それなりにリスクがあったのではないか?あるいは逆にアーモンが生真面目な所長で、賄賂などをまるで受け付けない人物だったら、オスカーは1人のユダヤ人も救えなかったはずだ。

また、オスカーが、自分の誕生日を祝ってくれた従業員代表のユダヤ女性に深い感謝のキスをする、というシーンがある。オスカーはこのことが原因で、人種隔離法違反みたいな罪で逮捕収監されてしまうのだが、このとき、オスカーの側に立って警察と交渉し、釈放に導いたのがアーモンなのだ。まあもちろんそれは、「今後もオスカーから甘い汁を吸うため」という理由だと考えるのが妥当かもしれないが。

酔ったアーモンに、オスカーから『王とは慈悲を与えるものだ』と囁かれ、それまでちょっとしたミスで躊躇なく射殺していたユダヤ人を「許す」といって解放し、驚かれるシーンも出てくる。(長続きはしなかったようだが)

そういった、行動に表れた「あれ?」と思えるシーンではなく、心の動きが「あれ?」と思えたシーンもある。

東欧各地から真夏のクラクフに、ユダヤ人を貨車に満載した列車が到着してくる。貨車の小さな窓から、喉の渇きに耐えかねた人々からの「水を・・」という叫びが聞こえる。アーモン達SSはそれを見て笑っている。そこにオスカーが登場し、一緒になって笑いながらも「奴らに水をぶっかけてやろう」と提案し、自ら指揮を執ってホースでの放水を始める。ホースが短すぎることがわかり、列車も限りなく到着してくることがわかると、工場から200mのホースを運ばせ、兵士たちを酒や果物で買収しながら、継続して全列車に水をかけさせる。アーモンに限らず、その場にいた誰にとっても、これは「水をぶっかけて遊んでいる」のではなくて、渇いたユダヤ人たちに水を与えているのは明白だったはずなのだが、アーモンは止めようとはしない。このときの彼の心中はどうだったのか?

そして、豪奢な収容所長邸でメイドとして働かせていたヘレンというユダヤ女性。立場からすれば奴隷以下の扱いだったはずなのだが、彼はどうやらこの女性に淡い恋心を抱いてしまったようなのだ。彼女に対する暴力というのは、感情の裏返しではないのか?オスカーから、アウシュビッツからの救出のためのリストの最後に彼女の名前を記しているのを見せられた時、アーモンは「彼女は俺が故郷に連れ帰ってメイドにする。そういう行為が許されないなら、せめて苦痛が無いよう、後ろから頭を撃って殺す」と言うのだが、結果としては、ヘレンはオスカーのリストによって生き延びた1人になっている。

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もちろん、だからといってアーモンの罪が許されるわけでも軽減されるわけでもないし、ホロコーストが認められるわけでも勿論無い。(ちなみにぼくはホロコーストという言い方があまり好きではない。人々の心の中に巣食う人種差別意識に根差した、極めて人為的で残酷な政策が、ホロコーストというとなんだか自然現象のように聞こえてしまうのだ)。

とにかく、残虐SS将校アーモンが、シンドラーによるユダヤ人救済を知っていて黙認していた(ようにみえる)のは本当に金のためだけだったのか?というように彼の心中を追ってみるというのも、この映画の見方の1つではないかと思ったまで。

KindleとNook

少し前にKindleを買って嬉しがって使っていた。

日本製のガラパゴスなんかのほうが使いやすいんだろうな、とは思うものの、ダウンロードできる書籍がたかだか数千冊ではお話にならない。田舎の小学校の図書館でももうちょっと蔵書数は多いのではないか?その点、amazonだと100万冊のオーダーなので、かなり選べる。

ただ、amazon.comは新刊や話題本は充実してるものの、ハワイの神話関連などは少なく、ようやくBeckwithの「ライエイカワイの神話」という研究書を見つけたくらい。(それはそれで価値あるのだが)。また、日本からダウンロードすると何故かすべて2ドル上乗せされるので、Public Domain Booksと呼ばれる、著作権切れで0ドル提供されている本も売り物みたいでなんだかなぁ、と思っていた矢先、日本からは買えないとあきらめていたNook(Barnes and Noble系:以下BN)がandroid携帯から使えるという記事を発見!

Nookは、機械自体も米国内専用でBNのサイト経由でも購入できないが、蔵書数はamazonをも凌駕する200万冊のオーダー。Nookのアプリは何故かAndroidマーケットには出ていないのだが、そこはAppBrainというマーケット経由で、PC経由で調達できた。(PCでインストールするとスマホのほうに入ってくる)

さて、本をダウンロードしようと思うと、クレジットカードの住所が日本だと、無料本でもDL不可。思い直して、直接、住所だけを当社のハワイ法人登記先に変更してみると、なんとそれだけでOK。おかげで、かつて苦労して入手したFornanderの著作などが、正味、無料で(interrnet archiveに入っていればとにかく無料)読めるようになった!

販売している本ではないので、スキャン時のエラーなども校正されずに放置されており時折見苦しいところもあるものの、とにかく読めて、本文の検索ができるということだけでも物凄く価値がある。ただ、画面がやや大きいIS01とはいえ、ちょっと読みづらい。kindleと違ってページめくりが凝ってるのは面白いけれど。

ところがその後、amazonから、Nookのepub形式からamazonのmobi形式への変換ツールが提供されていることがわかった。要するにNook経由でダウンロードしてきた本が、変換ツールを通してkindleで読めるようになるのだ。素晴らしい。

BNのnook book のページで検索すると膨大な古書が出てくる。しかも著作権切れで無料。

まあ、念のため書き添えると、無料のPublic Domain Booksはほとんどゴミのような扱いなので、明細の記載がなく、画像も不鮮明なので、いったいそれがシリーズ中の何巻なのかはダウンロードしてみないとわからないというデメリットはある。しかしまあ、これも開けてみてのお楽しみ、という前向きな気持ちで考えてみようか。

ハチミツ、トマト、金ヅル

このタイトルを見て「ああ、あのことか」とわかる人も結構いるのではなかろうか?

そう、これはJRの所属基地の略称表記の一例。

首都圏在住の人だと、総武緩行線(あの黄色い電車)を見かけたことは一度ならずあるはずで、その黄色い車両のボディーの左下のほうに、画像のような表記があるのだ。

ちなみに八ミツとは、JR東日本『八』王子支社『三』鷹車両センターのこと。トマト(東マト)とは東京支社松戸車両センターであの緑っぽい電車、金ツルとは金沢支社敦賀地域鉄道部のことらしい。

他にも四カマとか米イモとかいろいろあって、とても面白い。しかも省略の仕方がてんでんバラバラで、それぞれ旧国鉄時代のネーミングだと思うのだが、お堅い天下の国有鉄道様にしては、目立たないところで結構遊んでいたのではないかと思えるほど。

なにゆえ高松がカマで出雲がイモなのか?(笑)

全国でいったいどれだけバリエーションがあるのだろうかと気になった人は、『日本の車両基地一覧』でググると、wikiがあるのでご参考に。